(3)
 私は常識というものを、いつも一時しのぎの仮の宿のようなものだと思っている。私は自分の計算した、自分の空想した、自分の設計した家を作って、①その中に住みたいと思っている。
 そして私はたとえば、私の仕事場のようなところについては、計算し、設計することがほぼ出来るようになった、と思っている。私はほぼ自分で作ったアイディアに従って、仕事をし、その中に他人を立ち入らせず、そこへ入って来る人は、私の考えた理屈を理解しなければならないように仕向ける。しかし、私は仕事場でだけ生きているわけにはいかない。
 私のまわりには、日本の習慣、日本の伝統、日本の常識を軸にして生きているところの家族、 こめだわら同業者、隣人、などがいる。私は米俵(注)の中の一粒にしかすぎないのである。そしてそ の②外界とともに生きその中に生活の糧をさがさなければならない。私は、自分の考方、という特有の匂や動きからを、どうすれば確立することができるだろう。 私が仕事場だけを切り 離して作った、と思っているのも、実は私の幻想かもしれないのである。 私は単に、その外 界と調和し、妥協する方法を考えたのかもしれない。③そう考えると私は自分を失ったような、 元来持っていなかったようなこわれを感ずる。
(注)米俵:米を詰めて 藁 で包んだもので、米を入れておくのに使う

1。 (56)①その中とは何の中か。

2。 (57)②外界とは何のことか。

3。 (58)③そう考えるとはどう考えるのか。