(1)
 書くという行為は、最終的には、不特定多数の読者に向けられている。 しかし、そのプロセスにおいては、実は、かなり具体的な相手に向かって書いているところがあるのだ。
 実際に書き進める際には、私の場合、その原稿を読む最初の読者、すなわち担当編集者を念頭に置き(注1)ながら書いている。ある意味で、その人に向けて書いている部分もかなりあるのだ。編集者がつまらない反応をしそうだと、こちらのやる気も落ちてくるというようなことが実際にはある。逆に言うと、編集者とはそれくらい重要な仕事だと私は思う。 (中略)
 大学で教えていたときにこんなことがあった。よく質問してくる学生がいて、それがいつもたいへんおもしろい質問なのだ。だんだん「この学生はなかなか可能性がある」と思うようになって、その学生が期末にどんなレポートを書いてくるか楽しみにしていたら、レポートがすごくつまらなかったのである。なぜか、おそらくはこうだ。 その学生は、質問している時には具体的な他者、すなわち私に向かってしゃべっている。そのときの方が思考が刺激されておもしろい論点に自分で気がつくのだが、いざ(注2)レポートを書く際には一般論 みたいに書かなければいけないという構え(注3)になり、そうなったとたんに、急に頭が固くなってしまったのだろう。
 本や論文は、最終的には誰に向かって語っているかわからないようなスタイルで書かれることが普通だけれども、そこには対話がないといけない。要するに、人に話したくなるよう なことじゃないと書いても意味がないと思うのだ。
(注1)念頭に置く:ここでは、意識する。
(注2) いざ:ここでは、実際にや
(注3) 構え:ここでは、気持ち

1。 (57)筆者が編集者の仕事を重要だと考えるのはなぜか。

2。 (58)筆者によると、学生のレポートがつまらなかったのはなぜか。