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 給与には外的報酬と内的報酬のふたつがある。
 外的報酬とは給与そのものやインセンティブ(賞励金)といったお金として受け取れるものである。
 それに対して内的報酬とは、給与の額には表れないが、その仕事を通して得られる満足の報酬といったものである。
 たとえば、こんな給与はどうだろうか。
 外部の人と知り合う機会がある「出会い給与」、そこにいるだけで新しい情報に触れられる「情報供与」、専門的な技を習得できる「技磨き給与」、気の合った仲間と一緒にいられる「ふれあい給与」、そして一流の人をそばでウォッチできる(注1)「おそば給与」など、そんな給与の名称はないが、あると嬉しい給与である。
 私の場合、外的報酬よりも内的報酬を増やすことを心がけてきた。
 たしかに、同僚よりも低く評価されたショックは今でも忘れられないし、同期とのボーナスの差が何十万もあって愕然としたこともあった。
 しかし、生活が脅されるほどの額でもないと割り切れば、目に見えない給与を増やすほうが個人的な満足は高いことがわかったのである。
 また、仕事を長く続けていくには、内的報酬がちゃんとなくてはつとまらないということもわかってきた。
 仕事をなし遂げたときの「達成感」や、自分が成長していることを実感できる「成長感」こそ仕事の原動力であって、他人からの評価という、自分の努力ではいかんともしがたい(注2)ものにとらわれすぎるのは得策ではないと気づいたのである。
(中略)
 どんなに外的報酬が高くても内的報酬が極端に低い仕事だと、長く続けることはできない。また、①そこで得たお金は身につかないことが多い。
 いっぽう、内的報酬の高い仕事なら、もしかしたら将来ビッグな(注3)報酬に化けるかもしれない。その可能性は充分にあると言っていい。たとえ戻ってこなかったとしても、続けていけるよさはある。
 私の友人に、編集部で十年間アルバイトを続けた人がいる。正社員に比べて給与は低く、ボーナスも、退職金ももちろんない。
 しかし、その後フリー(注4)になった友人は、正社員よりもはるかに多い報酬を得るようになった。アルバイトの十年間で技術を身につけ、人脈を培い、仕事の幅を広げた、②まさに内的報酬が外的報酬へと実を結んでいったのである。
時価で給与を計るより、心の満足を含めたトータルかつ長期の視点で報酬をとらえないと、結局のところ給与は増えていかないのだと思う。
(松永真理『シゴトのココロ』による)
(注1)ウォッチできる:ここでは、観察できること
(注2)いかんともしがたい:どうしようもない
(注3)ビッグな:大きな
(注4)フリー:フリーランスの略。特定の組織に所属せず自由に仕事をする人

1。 (65) AとBの二つの文章を以下のようにまとめる場合、①と②に入るものの組み合わせとして適切なのはどれか。

2。 (66)外的報酬と内的報酬の説明として本文と合っているものはどれか。

3。 (67) ①そこで得たお金とあるが、そことは何を指しているか。

4。 (68) ②まさに内的報酬が外的報酬へと実を結んでいったとあるが、どういうことか。

5。 (69) この文章で筆者が最も言いたいことはどれか。