A
しっかりした人生を歩むには、やはり「学歴」が必要です。そう断言すると眉をひそめる
(注1)人もいるかもしれません。しかし私には、学歴なんかいらない、あるいは、ほどほど
(注2)でかまわないという考え方は、中途半端なきれいごとに思えてなりません。
学歴がなくて苦労をしたという話は、昔はさんざん聞かされました。最近はあまり言われていないだけで、本当はもっと厳しい選別が行なわれているそうです。(中略)
親ならば、一生を幸せに生きていける、一生、食べるのに困らない「生きる力」を、子供に付けさせるべきです。そして、そのための最良の方法が「学歴を付けさせる」ことだということは、今も昔も、変わりないのではないでしょうか。
(和田寿栄子『子供を東大に入れる母親のちょっとした「習慣術」』による)
B
いったい、学歴とはなにものなのか。
会社は、厳しい過当競争のさなかにあって、実力で勝負しなければならないというのに、そこで働いている人は、入社前に教育を受けた「場所」で評価されるというのは、どう考えても納得がいかない。教育の「質」が問われるのならばまだ解る。「場所」というのは、正常ではない。わずか数年間の学校教育が、以後何十年にもわたって、その人の看板として通用するというのは、奇妙というほかはない。
(中略)ほんの小さなグループから出発した私たちの会社では、何でもやれる人が、それをやる、といった気持ちで仕事をしてきたつもりであったのに、人数が増えてくるに従って、いつとはなしに、学歴による区分といった方式が、なんとなくとり入れられつつある事実に気付いて、はっとしたことがある。
(盛田昭夫『学歴無用論』による)
(注1)眉をひそめる:不快に感じる
(注2)ほどほど:ちょうどよい程度