「目を見て話す」この秘訣を教えてくれたのは、まだ小さかった頃の娘でした。
「外から帰ったら、手を洗いなさい」
「ごちそうさまを言いなさい」
(中略)どんなに声に威厳を込めたつもりでも、新聞をよみながらだと、まるでだめ。
[お父さんはこういっているけど、手を洗うっていうのは、別に大事なことじゃないんだな」
きちんと目を見ていないと、子どもはたちまちそう判断してしまいます。よそ見をしながら口やかましく繰り返しても、①「ごちそうさま」を言うようにはならないのです。目を見て話すことは、分かり合い、メッセージを伝え、コミュニケーションをよくする秘訣。これは子供に限ったことではありません。仕事でも家庭でも、すべての場において有効です。
大人になると、ぎくしゃくすることは頻繁にあります。
環境も価値観も考え方も違う人たちの集まりである以上、意見が食い違ったり、誤解が生じてトラブルになることは珍しくありません。
「じっくり話し合えば、ちゃんと分かり合える」というのは、僕の見たところ、残念ながら理想論。どちらかが妥協したり、お互いがちょっと意見を曲げたりして合わせているだけで、100パーセントの解決などありえないのが現実です。
あげくの果てに
(注)「話しても無駄だし、まだ同じことの繰り返しか」とうんざりし、コミュニケーションをあき らめてしまう一ほうっておくとこんな事態に陥ることも、珍しくはありません。
それでもコミュニケーションを諦めたくないと思ったとき、僕はこの秘訣を思い出しました。いくら意見が食い違っ ても、どんなにトラブルが燃え上がっても、必ず相手の目を見て話をするということを。
考え方がまるで合わず、最後まで言い分は平行線をたどるような議論でも、相手の目を話し読ければ、不思議なことに相手に尊敬の念が湧いてきます。たとえ「この人の言っていることは、間違っている!」と思っていても、相手の目を見ていれば、「その人の人間性」に対しては、別の気持ちを抱くようになります。意見は認められなくても、人としては認められるということです。
言い合っても目と目を見つめ合っていれば、不思議な一体感すら生まれます。結果として解決には到らなくても、悪い方向には向かわない。これだけは、何度も試した僕の保証付きです。
疲れていたり、へこんでいたりすると、人は目を見て話すことができません。そして下を向いていればいるほど、よくない事態が悪化します。
さあ、洗い物をしながら大事な話をするのはやめましょう。パンコンから顔を上げて、まっすぐ目を見て話しましょう。 理解できない相手でも、受け入れられない相手でも、この秘訣を知っていれば、②何か別の関係は生まれるはずです。
(松浦弥大郎「あたらしいあたりまえ。人暮らしの中の工夫と発見ノート2」による)
(注)あげくの果てに:結局