人間の生存に不可欠なのは衣食住ですが、人問というのは、それだけでは生きていけない生きものです。衣食住に加えて何が必要かというと、それは自尊心です。自尊心というと、高慢さを連想して、悪いイメージを持っている人が多いようですが、私がここで言う自尊心とは、 「自分には生きていくだけの価値がある」と思うこと、極端に言えば、「この世界のなかでいくらかの場所を占領し、食べものを食べ、水を飲み、空気を吸って生きていてもかまわないのだ」と思うことです。そう信じられなくなったとき、私たちは生きつづけるために必要な気力を失い、ときには命を絶つことさえあります。
 じつは、人間のさまざまな行動は、この自尊心の動きに支配されているのだと考えると、とてもよく理解できます。私たちに、一生にわたる自尊心の①基盤を与えてくれるのは、言うまでもなく、幼いときに育ててくれる親や、それにかわる人たちの、無条件の愛情です。幼い子どもにとっては、自分の家族が全世界ですから、そのなかで大切にしてもらえば、自分の価値を信じるのはたやすいことです。しかし、そこで与えられるのは基盤にすぎず、保育園、幼稚園などの集団に入ると、親の愛の上に築いた自尊心はもろくも崩れてしまいます。自分とっては絶対であった親が、世の中のたくさんの人たちの一人にすぎないのなら、その親に保証してもらった自分の値打ちも、ちっぽけなものにすぎないことになるからです。
 そこから、子ども自身による、自尊心回復のための戦いがはじまります。幼い子どもというのは、無邪気な会話をしているかと思うと、親の持ちものの自慢をしたり、何かを持っていない子をのけものにしたり(注1)といった、「子どもらしくない」と言いたくなるようなふるまいをはじめるものです。しかしこれらは、子どもなりの自尊心回復の手段なのであって、その意味ではきわめて②「子どもらしい」のです。不幸にして家庭の愛情がじゅうぶんでなかったり、「いい子」でいないと愛してもらえなかったりする子どもたちは、すべてを自力で獲得しないといけませんから、とりわけ競争での勝ち負けにこだわることになりがちです。子どもたちのそんな様子に、大人はつい眉をひそめ(注2)たくなりますが、生きるために自尊心がどれほど必要かを考えれば、無理のないことだと理解できます。
(注1)のけもるのにする:仲間はずれにする
(注2)眉をひそめる:不愉快な気持ちを表す

1。 (64) 筆者は、①基盤は何によって築かれると言っているか。

2。 (65) 筆者は、子どもが集団に入ると、なぜ自尊心が崩れると考えているのか。

3。 (66) ②「子どもらしい」とあるが、著者は、何が子どもらしいと言っているのか。

4。 (67) 筆者は、子どもが成長するためにはどんなことが大事だと言っているか。