練習59
何ごとをするにも準備が必要である。高い山の登山などというと、山頂に立つのは、ほとんど一瞬といっていいほどだが、それに対する準備には、どのくらいの労力と期間がかかっているか、素人には想像もつかないほどである。(中略)
このように、すべて「準備」が必要であることをだれでも知っているのだが、実に大切なことであるのに、あんがい「準備」なしで臨んで
(注1)しまうことに「対話」ということがある、と私は思っている。
その対話の成り行きが、その人の一生を左右する、とまではいかないにしても、一生、問題を引きずってゆくことになるのに、準備なしで覚悟もないままに臨んでしまうために、失敗をしてしまうのである。
どうも、中学生の息子の様子がおかしい。落ち着きがないし、家族を避けるようにばかりしている。これはどうしても話し合いが必要だ。このようなとき、対話に臨むに際して、親はれだけの準備をしているだろうか。このときの話し合いの結果には、その子の、あるいはその家族の将来がかかっているのだ。
ではどのようなか準備が必要か。まず体調を整えることである。ちゃんと食事をし睡眠をとり、たとえ話が徹夜になろうと大丈夫という状態でなければならない。次に①
「心の準備」である。実は、これができていない人が多いのである。
「心の準備」で最大のことは、徹底して相手の話を聴こうと覚悟することである。多くの親は、子どもと「対話」すると言いながら、まったく相互的な話し合いにならず、一方的に言い立てる
(注2)場合が多いのだ。まず相手の言うことに耳を傾けて聴く。これはよほどの覚悟がないとできないし、何でも聴こうという心の広がりがないと駄目である。
親でも教師でも、「何でも自由に話しなさい」と言って話を聴こうとしたが、子どもが何も言ってくれない、という人がよくあるが、これはまさに「心の準備」不足である。
スポーツマンも、体調を整えて準備をしてゆくが、勝負のときは、大変な集中力とともに、リラックスしていないといけない。いわゆる「肩に力が入る」状態はよくない。すべてに緊張しているのは駄目である。
「何でも自由に」などと言いながら、大人のほうが自由でなくては話にならない。どんなことを話しても大丈夫というリラックスした心のあり方を大人が持っていないと、口で言うだけでは意味がない。②
相手の体を縛っておいて、「自由に動きなさい」と言うのと同じような「対話」をしたがる大人が多いのだ。
心の準備をしての対話はエネルギーも時間もかかって、大変だ。しかし、一生の間に何度かは家族の間にこのようなことが必要だ、と私は思っている。
(河合隼雄『ココロの止まり木』朝日新聞社)
(注1)臨む:ある場面・事態などに向かう
(注2)言い立てる:強くあれこれ言う