練習57
物を買う、という行為は、この国ではなぜかあまり褒められない行為のようにうけとられています。(浪費色)だとか(衝動買い)だとか(無駄遣い)だとか、そういう言葉に表現されるように、必要以外のものを買う人間はあまりかんばしい評判を得られません。しかし、以前から思っていることなのですが、物を買う、ということは、決してただお金を浪費し虚栄心を満足させるだけのことではないような気がするのです。
何かいやなことがあって、むしゃくしゃした気分を抑えるためにショッピングをする人がいます。必要のないものにお金を道うなんて愚かしい行為だと理性的な人は言うでしょうが、それでも人間の精神のバランスをとるために費用をかけたと思えば、①
それはそれでいいんじゃないでしょうか。
人間は大人になって死ぬまでの間、お金のことで苦労しながら生きてゆきます。生まれながらにして無限の富を与えられた人は別ですが、ほとんどの人はお金の苦労というものでエネルギーをすり減らすことになります。そんな中で一瞬ふっと、お金のほうが主役で、自分はそれによってふり回されているつまらない存在のように感じられることがあります。
お金のことで苦労し、血と汗を流している人ほど、どういうものか無駄遣いすることがあるのです。一見、逆のようですが、②
それはお金に対する人間性のささやかな反抗とでもいえるんじゃないでしょうか。お金を浪費する、やけっぱちになって紙層のように遣う、そのことでもって、こちらのほうが主人なんだぞ、お金に使われてるんじゃないぞ、と心の中でうっぷんを晴らしているのかもしれません。お金に復讐することで人間性を回復しようとしているのです。
(五木寛之『生きるヒント一自分の人生を愛するための12章一』角川書店)