「自然を守う」と、最近は誰もが言うようなっている。洗剤を海に流すのはやめよう、資源を節約して森林を守ろう、身近なところから自然環境を保護してゆこうとね。このこと自体は、たぶんとても大事なことだ。今や地球上の厄介やっかい)もの(注1)の人間が、そういう姿勢に変わらない限り、自然の荒麗は食い止められないからだ。
 だけど、ここでちょと気がつかないか。「自然を守ろう」というこの考え方自体が、すでに矛盾を含んでいる。つまり、自然と人間とを最初から別々のものとして見ているということだ。人間と、その外側でこれを取り巻ぐい然環境というふうに見ているんだ。人間と自然とを、そんなふに最初から対立するものとして見ている限り、「自然保護」という考え方も、じつは「自然破壊」の裏返しにすぎないのじゃないたろうか。やっパり①人間の傲慢ごうまん)(注2)、人間の身勝手なんじないだろうか。
 人間は自然じゃないのだろうか。生物の一種として人間は、②その意味で自物」だ。だけどその自然物としての人間は、それを取りなく環境としての自然を、不自然にも破壊したするわけだ。人間が、人間自身をどう考えるかによって、「自然」のとらえ(注3)方は全く違ったものになる。対策としての環境保護より先に、人間はまず、このことを考えるべきなんだ。(以下・略)

(他田子「14歳の君へ どう考えどう生アか」毎日新聞版所収「自然」より部分)

(注1)厄介やっかい)もの:他人に途惑をかける人
(注2)傲慢ごうまん):自分が他の人やものより怖いと思っていること
(注3)とらえる:認識する

1。 (56)ここでの①人間の傲慢ごうまん)(注2)、人間の身勝手とはどういうことか。

2。 (57)②その意味は何を指しているか。

3。 (58)筆者は人間の自然とのかかわり方についてどのように考えているか。