例題8 かなり前のことですが、若い友人の作家がぼくにピアノを習いませんか、とすすめたことがありました。
 「五木さん、ごらんなさい。ピアニストはみんな驚くほど長命でしょう?それにいつまでもボケません。あれは両手の指を同時に動かすことが肉体と精神にすばらしくよいということの証拠なんです.」
 ぼくは彼の言葉には賛成でしたが、今さらバイエル(注1)をさらう(注2)気もせずに笑って辞退しました。
 しかし、彼の言葉は正しいと思います。ピアノだけではない。絵を描く人だって、ロクロをひく(注3)人だって、みんな長生きで元気です。ことに彫刻家はすごい。
 手を使って何かをすることは、人間にいい影響をおよぼすんですね。しかし、それだけではないんじゃないか。
 手を使うだけでなく、手がよろこんでいることが大事だとぼくは思うのです。ピアノを弾くことは指にとってよろもこびです。彫刻も創造的な作業です。絵を描くのも、ロクロをひくのも、みんな創造的なよろこびがある作業です。 
 ただ指を運動させる、ということとは少しちがうものがそこにはありはしないか。トレーニングとして機械的に指の訓練をすることも悪くはないでしょう。しかし、それだけでは何かがたりない。そうです。よろこびをともなってこそ、指は人の生命をいきいきとよみがえらせるのだと思います。

(五木寛之『生きるヒントー自分の人生を愛するための12章』一角川書店)


(注1)バイエル:ピアノの初級テキスト
(注2)さらう:復習、練習する
(注3)ロクロをひく:円形の道具を回して茶わんや花瓶などを作る

1。 この文章で筆者が最も言いたいことは何か。