(前略)大学にはいったら、小説や詩を読んだり、美術や美術書に親しんだり、哲学の本一種の精神に頭を突っこんだりというふうに、あっちこっちを歩き回ってみる。それは、一種精神的遍歴ですが、しかしけっして漫然としたさすらいではありません。ほんとうは必死な気持ちで、自分の力と自分の性格にびったりしたなにかをさがす。① このことがたいせつではないか、ということです。
現代は、わたしが大学生のころに経験した時代風潮から見ると、イデオロギー(注 )の対立が激しく、ゆっくりと学問することができないような、あるいはさせておかないような社会間題がつぎからつぎへと起こっています。ですから、へやの中でおちついて勉強するよりも、生の社会間題に対する実践的な行動に出るほうをよしとする考え方が、わたしの大学生時代よりも強いにちがいありません。
しかし、あなたがたはそういうことをもふくめて、しつくり考えるべきではないか。つまりそうした時代であるがゆえに、むしろいろいろな予備知識をできるだけ身につけて、そのうえで納得のいく実践に移るべきではないか。最初から実践に飛びこむのはたいへん勇ましいようだが、じっさいには身につかない危険をおかしているのではないか。わたしはそういうふうに思っているのです。
(増田四郎「大学でいかに学ぶか」講談社現代新書による)
(注)イデオロギー:政治的・社会的な意見、思想の傾向