毎年、歳暮(せいぼ)(注1)に、紅茶を贈ってくれる人がいて、あるうちでは閉ロしていた。コーヒーと録茶はのむが、紅茶はのまない。もらってもありがた迷惑である。なんとか、贈り主にそのことを伝えたいが、これが、①なかなかむずかしい。
「うちでは紅茶はいただきません」
 などということを礼状に書いたりすれば、贈り主はどんなに傷つくか知れない。これまで毎年贈っていたのは、どうしたのだろう。いらないのならもっと、早くいってくれればいいのに、とおもしろくない思いをするにちがいない。
「ありがたく頂戴いたしました。当方、お贈りするものがなくて、お気に召すものがわからず、困惑しております。どうか、来年からは御心造い下さいませんよう② お願い申し上げます
 とやんわ断るのがひとつの手である。そういわれた側では、さては、紅茶は好きでないなと察する。
’正直は最上の方策’ということわざが英語にある。日本では’正直の頭に神宿’というのがこれに当たる。しかし、正直をありがたがるのはむしろ。幼い感覚である。すこし洗練された人間の間では、「正直は阿呆はうの災名」といい、’カ正直’ーという。
 ウソらしいウソはつくとも、ホントらしいウソはつくなーーということばもある。方便(注2)のウソは自分の利益のためであってはならない。あくまで、相手の気持ちを傷つけないようにという動機であってこそ、許され、認められる
(外山滋比古「人に聞けない大人の言葉づかい」中経出版による)
(注1)新暮:世話なった人などに年未に贈り物をすること
(注2 )方使:ある目的を達成するために執られる手段、方法

1。 (50)① これがなかなかむずかしいと筆者が考える理山は何か。

2。 (51)②お願い申し上げますとあるが、頼んでいることは何か。

3。 (52)筆者はウソについてどのように考えているか。