いわゆる職人芸は階級社会の中で狭く枠づけられている。誰でもが自山に携われるものでもないし、ひらかれた技術ではない。専門家だけのものに(41)。しかも秘伝(注1)とか秘法(注2 )とかいって、嫉妬深く職業上の型域(注3)を作って、素人をしめ出している。(中略)
そういう年季の入った(注4)芸や特殊な技ではない、まったくしかも素人、下手なのが平気で作ったものに、「手づくり」のほんとうのよろこび、人間的なふくらみがあるはずだ。
(42)手づくり、手でつくるというのは、実は手先ではなく、心でつくるのだ。生活の中で、自分で情熱をそこにつぎ込んで、ものを作る。楽しみ、解放感、そして何か冒険、つまり、うまくいかないのではないか、失敗するかもしれない、等々いささかの不安をのり越えながら作る。そこに生きている夢、生活感のドラマがこめられている。心が参加して、なまなましく働いていることが手づくりの本質だと言いたい。
職人さんの馴れた手が職業的にパッパッど動いてつくり出すもの。手の方が先に、鮮やかに(43)。従って、よくできていてもほんとうの自由感、生活感はない。
だから手づくりは決して器用である必要はないのだ。とかく緊人は玄人の真似をしようとして絶望し、私は不器用だからとても、などと言って尻ごみして(注5 )しまう。子供のときには誰でも平気で作ったのに。大人になると、みっともないと自分で卑しめてやめてしまう。
とんでもない。下手の方がよいのだ。笑い出すほど不器用であれば、それはかえって楽しいのではないか。平気でどんどんつくって、生活を登かにひらいていく。そう(45)。意外にも美しく、嬉しいものができる。
それが今日の空しい現代社会の中で自分を再発見し、自由を獲得する大きなチャンスなのだ。
(岡本太郎分の中に毒を持て」青春出版社による)
(注1)秘伝:特定の人にしか教えないこと
(注2 )耜法:特定の人にしか教えない方法
(注3 )型域:神な場所、区域
(注4 )年季が入っている:十分な経験がある
(注5尻ごみする:ためらう