人間の感情というものは面白いものである。喜び、悲しみ、怒りなどの感情が生じてきて、人間はそれを抑えてみたり、外に表わしたりする。そして、そのような感情が生てじくてるのには、それ相応のことが生じており、だいたいにおいて、それがどうして生じてきたのか説明できるものである。
ところが、いわゆるイライラするとき、というのは、そのわけがわかっているようで、その実は、ことの本質がわかっていないときが多いのではなかろうか。
イライラというのは、人間の落ち着きをくさなせるが、その落ち着きのなさは、何か不可解なものが存在していることを示しているように思われる。
ある奥さんが、自分の夫の話しぶりを聞いていると、何かイライラして仕方がないと嘆れかる。それまでは、ものの言い方がすこし遅いなと感じるくらいだったが、①
最近は、もっとピシッと(注)すばれいいのに、という感じがしてきて、何となくしまりのないのにイライラしてしまう。夫が話をはめじると、「もっと早く」とか「はっきりと」とか横から言いたいくらいになる、と言う。
( ② )、この男性のテンポが少し遅いことは事実である。彼の夫人がそれを気にするのもうなずける
(注2)。しかし、彼女が言うほどにもイライラするのはどうかなと思われる。こんなとき、わたしが彼女の立場にあるとしたら、「イライラするのは、何かを見通していないからだ」と心の中で言てっみて、イライラを直接に夫にぶっつける前に、見通してやろうとする目を自分の内部に向けて、探索してみるだろう。
このように言っても、イライラというものは、落ち着きを無くさせるし、それを相手にぶっつけないとたまらないような性格を持っているので、そんな悠長ことなを言っておかれるか、ということになるが、それだからこそ余計に、今述べたようなことが必要なのである。イライラは、自分の何かー一多くの場合、何らかの欠点にかわることー一を見出すのを防ぐために、相手に対する攻撃として出てくることが多いのである。
さて、さきほどの女性の場合は、私と話し合っているうちに、ふと、自分自身がぜひやらなければならぬ仕事を、のばしのばししてきていることに気づかふれたのであった。自分がなすべき仕事に「遅れを取っている」ことが、夫の話の遅さと妙な引っかかりをつくったというわけである。そのことに気づき、自分の仕事をはめじると、含までイライラのもとだった、夫の話し方、やはり時には腹の立つ時もあるが、そまれでのようにやたらにイライラを引き起こす種にならなくなった、とのことである。
(河合隼雄『心の処方箋』による)
(注1)ピシッと:はっきりと
(注2)うなずける:理解できる