最近いろいろな場所で、子どもたちを授業に集中させるのが難しいという話を開く。授業中に立ち歩く、隣の子にチョッカイを出す(注)、指示に従わない…これは中学校や高等学校の話はでなく、小学生の話なでのある。
 六年生のA君は、授業が始まっても教科書を出そとうせず、隣の子とおしゃべりを続けている。担任が注意すると、プイと席と立ち、教室らか出て行っしてまう。時には親分を引きつれ、二〜三人一斉に出て行くこともある。追いかけて問い詰めると( ① )という。そして、あとは何を聞いても「別に」という言葉が返ってくるだけである。
 勉強は塾ですませていて、授業中は退屈している子どもも、勉強が難くして分らかない子どもも、学校で何か楽しいことはないかなと思っている点では同じである。そこで友達が先生に反抗する姿は、結構刺激的で面白いことようのだ。中には、A君を義望の目ざしで見ている子どももいる。
 子どもたちを何とか授業に集中させたいと先生方は懸命だが、テレビやテレビゲームより面白く、楽しい授業を作り出すことは、そう簡単なことでなはい。ゲームやお笑い番組にどっぷり漬かり、②物分りよいの大人と豊かで欲求充足的な生活に慣れた子ども達にとって、学習はどんなに工夫されてもやっぱり自分との闘いや努力、がまんが必要なことである。こんな子どもをどう指導したらよいのだろうか。
 教育の実情を保護者会で話すと、子どもが学校で荒れのるは、学校に問題があるからでしょう、家ではおとなしく良い子ですと反論される。なかには、学校の様子を知らせると、親に恥ずかしい思いをさせると、子どもに暴力を振るう親もあるとか。こうなると学校と家庭の関係は不毛の悪循環を繰り返すことになってしまう。これは決して特殊な例でなはく、現在の義務教育が直面している現実である。
 最近、世の中全般に、楽しいことこそ最高といった風潮が強く、学校についても楽しくなければ学校じゃない、学校がもっと楽しいところになればという議論が多い。学校側の努力はもちろん必要だが、大人はもっと本気で子ども達に③楽しさの本当の意味を伝えなくてはならないのではなかろうか。

(森田光子「楽しい授業」読新聞売2004年11月12日よるに)


(注)チョッカイを出す:余計な口出しをする

1。 (71)( ① )に入るものとして、最も適当なものはどれか。

2。 (72)②物分りよいの大人とはどんな大人だと思われるか。

3。 (73)③「楽しさの本当の意味」とは何か。