自分はなんてついていない人間なんだろうとか、世の中の人間はみんな自分に嫌なことをしてくるだとか、こんな不景気の中だったら何をやっもてうまくいかないよとか、みんなある種の思い込みを持っている。
 ところが、①思い込みを持ってモノを見ていると、どんどんそういうふうにモノが見えてくる。
 自分はみんなにいじめられていると思っていたら、ほかの人のちょっとした言動が、よけい、いじめのように映ってしまう。ほかの人が親切にしてくれたり、言っくれてたりすることも、どうせ下心があるのだと思い込んでしまうことで、かえって不適応を起こしている人がいっぱいいる。
 ( ② )、そういうモノの見方しかできなくなるには、人それぞに様々な理由がある。たとえば、小さい頃いじめられてきたとか、親の育て方、愛情が足りなかったといったものだ。これまでのカウンセリング理論では、親の問題とか、小さい頃のことを理解してそれと折り合いつけをよう(注)というような考え方をてしも、結局その世界にはまり込むだけで、モノの見方はさっぱり変わっていないことが多い。
 ということで、むしろモノの見方を積極的に変えていくいうとのが「認知療法」だ。しかし、認知療法で、「モノの見方を変たましょう」「あなたのモノの見方は間違っているからこうしなさい」といわれてもなかなか急には変わらない。
 ではどうするかというと、ビジネスの決断でもなんでも、何かを思いついたら「メモを取る」という習慣をつける。そして、その思いつきだけではなく、その他の可能性を一つでもいいからと考えて、それもメモするという習慣をつける。
 頭の中で、「別の見方をする」といっても、なかなか難しいので、頭の中で考えたことを紙に書いて客観的に見る習慣をつける。それによって、自分の一方的なモノの見方や、思い込みが直さ上れていく。
 結局、認知療法であれ、行動療法であれ、理屈で分かったところでどうしようもないわけで、それをいかに習慣づけるかということが大事になる。理屈ではなく「行動」で、さらにはそれを「習慣づける」ことで、「頭のいい自分」に一歩ずつ近づくことができるのである。

(和田秀樹『頭をよくするちょっとした習慣術』による)


(注)折り合いをつける:妥協する

1。 (71)①思い込みとあるが、たとえば、どういう行動が「思い込み」なのか、その内容と合っているものを一つ選びなさい。

2。 (72)( ② )に入れもるのとして、正しいものはどれか。

3。 (73)文章の内容と合っているものはどれか。