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「他人に迷惑をけかない限り人は自由に自分の欲望を満たしてよい」いうとのは、近代自由主義社会の原則である。個人主義の浸透した都市社会では、社会で生きていくための倫理的な指針としては、この原則だけが唯一リアリティーのあるものとして感じられるようになっている。
だが、この原則は、社会的なルール感覚や人と人との間を結ぶ絆を培うための必要最低限の条件にすぎず、①決してそれらを充実した豊かなものにさせることにとって十分な条件ではない。
どういうことか、もう少し詳しく説し明よう。
まず、ある人の行為なり意志表示なりが、その近くにいる他者に何らかの好ましからざる影響を与えた場合、②それが「迷惑」という範疇に入る事柄であるかどうか、検討する必要がある。たとえば少年が万引きする。これを補導する警察宜は、公共の秩序を守る職務に則って少年に対処するだけであるから、警察官自身の心がそれによって大きく傷つくということはほとんどありえない。( ③ )、少年の母親は、少年との情緒的な絆を大切にしているから大いに悲しむであろう。
また、積極的な言動でなくても「何もしないこと、ただそこにいること」が身近な他者に心理的な悪影響を及ぼすこともありうる。たとえば、大学生の息子が、学校にもいかずに午後まで寝ていているような場合、親は大変イライラする。
このようなことになるのは、身近の他者同士は、暗黙の信頼や了解や期待があり、それらが裏切られる時に、相手はメンタルな動揺を被る。さて、これは「迷惑」と呼ぶことが適切であろうか。(小浜介郎『「迷惑をかける」とはどういうことか』により改)