甥達からお年玉をねだられる年齢になった。年端もいかぬ(注1)子に現金を与えることが、教育上よいのか悪いのかわからないけれど、正月くらいは四角張らくなても(注2)と、少額を与えることにしている。通常、何も言わないで手渡すが、子どもたちは、お年玉というのが普段の小遣いとは質的に異なるのを知っていて、おやつの菓子代にする、などということは決してない。金銭については現実的と言われる現代っ子が、神聖なものを扱うかの如く大事にしまい込むのを見ると、①何故かホッとするものである
 私も子どもの頃、お年玉をスタートに貯金を始めては、まとまったものを買うのが楽しみだった。昭和三十年頃だったか、一年がかりで百七十円を貯めて、野球バットを買ったのを覚えている。翌年はグローブを買おうと決心し、お年玉をもとにせっせと貯め始めたが、②八月につまずいた
 夏休みに入った六年生の私は、近所に住む一年生の鉄ちゃんと遊んでいた。と、鉄ちゃんが玄関脇の山椒の枝にものすごく大きなイモ虫を発見した。イモ虫、毛虫、みみずの類は、鳥肌の立つほど嫌いな私だが、六年生の面子を保つため、(中路)傍らに落ちていた割り箸のを一本拾い、十センチ以上もある黄緑色のイモ虫の突起だらけの腹をそれで支えて見せた。(中路)すると、イモ虫が鉄ちんゃの、首の後ろから背中にすっぽりと飛び込んだのだった。(中)無我夢中で引っ張ると、何とイモ虫はちぎれてしまった(注3)。慌てた私は再びちぎりまたちぎり、結局はぐちゃぐちゃしたものを何度もかきださねばならなかった。真っ赤になって泣き続ける鉄ちゃのんシャツも、蒼白になってかきだす私のシャツも、べっとりと緑に染まっていた。
(中路)
 翌日になって母にこっぴどく(注4)叱られた。鉄ちゃんの母親は抗議にきたという。母は、③私の責任だからと、貯金箱から虎の子の百円を抜き出させ、ブドウを買ってお詫びに行った。可愛い鉄ちんゃに対して何の悪意もなっかたのに、身の毛よだつの(注5)作業をした上、夢のグローブまで失うという結果になったのはどう考えても恨めしかった。
 お年玉の季節またがやって来た。、あれほど見事なイモ虫は、以後お目にかかっていない。この頃では、小なさイモ虫さえ見掛けなくなった。あの時のイモ虫ばりかが、心の中で年毎に見事さを増して行く。

(藤原正彦『数学者の休憩時間に』よる)


(注1)年端もいかぬ:幼い、大人になっていない
(注2)四角張る:堅苦しい態度をとる
(注3)ちぎれる:細かくばらばらになる
(注4)こっぴどく:ひどく
(注5)身の毛がよだつ:恐怖のために、身の毛が逆立つ達

1。 (71)①何故かホッとするものであるとあるが、何についてホッとしたのか。

2。 (72)②八月につまずいたあるが、つまずいた原因は何か。

3。 (73)③私の責任だからとあるが、何を指しているか。