(前略)
教育程度が⾼くなればなるほど、そして、頭がいいと⾔われれば、⾔われるほど、知識をたくさんもっている。つまり、忘れないでいるものが多い。頭の優秀さは、記憶⼒の優秀さとしばしば同じ意味を持っている。
(中略)
ここで、われわれの頭を、どう考えるかが、問題である。
これまでの教育では、⼈間の頭脳を、倉庫のようなものだと⾒てきた。知識をどんどん蓄積する。倉庫は⼤きければ⼤きいほどよろしい。中にたくさんのものが詰っていればいるほど結構だとなる。
せっかく蓄積しようとしている⼀⽅から、どんどんものがなくなって⾏ったりしてはことだから、忘れるな、が合⾔葉になる。ときどき在庫検査をして、なくなっていないかどうかをチェックする。それがテストである。
倉庫としての頭にとっては、忘却
(注1)は敵である。博識
(注2)は学問のある証拠であった。ところが、こういう⼈間頭脳にとっておそるべき敵があらわれた。コンピューターである。これが倉庫としてはすばらしい機能をもっている。いったん⼊れたものは決して失わない。必要なときには、さっと、引き出すことができる。整理も完全である。
コンピューターの出現、普及にともなって、⼈間の頭を倉庫として使うことに、疑問がわいてきた。①
コンピューター⼈間をこしらえて
(注3)いたのでは、本もののコンピューターにかなうわけがない。
そこでようやく創造
(注4)的⼈間ということが問題になってきた。コンピューターのできないことをしなくては、というのである。
⼈間の頭はこれからも、⼀部は倉庫の役をはたし続けなくてはならないだろうが、それだけではいけない。新しいことを考え出す⼯場でなくてはならない。倉庫なら、⼊れたものを鉛失しないようにしておけばいいが、ものを作り出すには、そういう保存保管の能⼒だけではしかたがない。
だいいち、⼯場にやたらなものが⼊っていては②
作業能率が悪い。よけいなものは処分して広々としたスペースをとる必要がある。それかと⾔って、すべてのものをすててしまっては仕事にならない。整理が⼤事になる。
倉庫にだって整理は⽋かせないが、それはあるものを順序よく並べる整理である。それに対して、⼯場内の整理は、作業のじゃまになるものをとり除く整理である。
この⼯場内の整理に当たることをするのが、忘却である。⼈間の頭を倉庫として⾒れば、危険視される忘却だが、⼯場として能率よくしようと思えば、どんどん忘れてやらなくてはいけない。
そのことが、いまの⼈間にはよくわかっていない。
(外⼭滋⽐古『思考の整理学』筑摩書房)
(注1)忘却︓すかっり忘れてしまうこと
(注2)博識︓いろいろ物事を知っていること
(注3)こしらえて︓作って
(注4)創造︓あるものを新しく作り出すこと