(3)
 人間はいつからこんなに夜行性をつよめたのだろうか。もちろん昼間働くのが常態(注1)であるが、こと、知的活動になると、夜ときめてしまう。(中略)
 そして、いつのまにか、①夜の信仰(注2)とも言うべきものをつくりあげてしまった。現代の若ものも当然のように宵っ張り(注3)の朝寝坊になって、勉強は夜ではなくてはできないものと、思いこんでいる。朝早く起きるなどと言えば、老人くさい、と笑われる始末である。
 夜考えることと、朝考えることとは、同じ人間でも、かなり違っているのではないか、ということを何年か前に気づいた。朝の考えは夜の考えとはなぜ同じではないのか。考えてみると、おもしろい問題である。
 夜、寝る前に書いた手紙を、朝、目をさましてから、読み返してみると、どうしてこんなことを書いてしまったのか、とわれながら不思議である。
 外国で出た手紙の心得を書いた本に、感情的になって書いた手紙は、かならず、一晚そのままにしておいて、翌日、読みかえしてから投函(注4)せよ。ー晚たってみると、そのまま出すのがためらわれることがすくなくない。そういう注意があった。現実的な知恵である。
 それに、どうも朝の頭の方が、夜の頭よりも、優秀であるらしい。夜、さんざんてこずって(注5)うまく行かなかった仕事があるとする。これはダメ。明日の朝にしよう、と思う。心のどこかで、「きょうできることをあすに延ばすな」ということわざが頭をかすめる。それをおさえて寝てしまう。
 朝になって、もう一度、挑んで(注6)みる。すると、どうだ。ゆうべはあんなに手におえなかった問題が、するすると片づいてしまうではないか。昨夜のことがまるで夢のようである。
 はじめのうちは、そういうことがあっても、偶然だと思っていた。夜の信者だったからであろう。やがて、②これはおかしいと考えるようになった。偶然にしては同じことがあまりにも多すぎる。おそまきながら、朝と夜とでは、同じ人間でありながら、人が違うことを思い知らされたというわけである。

(外山滋比古「思考の整理学』筑摩書房)


(注1)常態:ふつうの様子
(注2)信仰:(宗教を)信じること
(注3)宵っ張り:夜遅くまで起きていること
(注4)投函:ハガキや手紙をポストに入れること
(注5)てこずる:あつかいに困る
(注6)挑む:がんばってやる

1。 (問1)①夜の信仰とも言うべきものをつくりあげてしまったとあるが「夜の信仰」とばどういうことか。~

2。 (問2)②これはおかしいとあるが「これ」とは何か。

3。 (問3)筆者がこの文章でいちばん言いたいことはどんなことか。