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僕は生まれてからずっと、東京に住んでいる。といっても、子どもの頃住んでいたのは東京の田舎だし、いま住んでいるのは川崎市だ。まあ、「東京通勤圏」に住んでいる、というほうが正しい。東京は便利なところだけれど、いろいろ辛いことがあって、たとえばその一つとして通勤地獄
(注1)がある。常識では考えられないような密度
(注2)で人間を箱に詰め込んで、一時間以上にわたって運ぶという非常識なことをやらざるを得ない。それでも足りなくて、列車の本数を増やしまくり
(注3)、ラッシュ時には数分おきに電車が走るということになる。
さて、それでも足りないとなると、どうするか。いろいろな手がある。たとえば、JR
(注4)山手線では座席を折り畳み式にし、ラッシュ時には座席をたたんで人が立てるスペースを広くして、もっといっぱい乗れるようにした。
また、これほど混雑してくると、人の乗り降りにかかる時間が馬鹿にならなくなる。そこで、在京の私鉄
(注5)のA社とB社では、人が素早く乗り降りできるようにドアを改良することにした。素早く乗り降りできるようにするためには個々の車両の出口を増やすか大きくしてやれば良い。A社はドアの数はそのまま(一車両ずつ片側四つ)で一つ一つのドアを大きくした。B社はドアの大きさを変えずにドアの数を増やした(片側五つ)。なんとなく、どちらでもいいように思える。ところが、結果はB社はうまくいって乗り降りの時間が短縮されたが、A社はうまくいかず、むしろ余計に時間がかかるようになってしまった!全く不思議な話だ。
(田ロ善弘『砂時計の七不思議』中央公論新社)
(注1)通勤地獄:ラッシュの混雑や時間がかかって、通勤が大変なこと
(注2)密度:ものや人がどのくらいの程度で存在するかをあらわす数字
(注3)増やしまくり:「〜まくる」は「〜し続ける」、どんどん増やして
(注4)JR:もとの日本国有鉄道。現在は企業が経営している
(注5)在京の私鉄:東京にある、企業が経営する鉄道