今日は寝坊をしてしまったので、急いで地下鉄に乗るために駆け足で階段を降りた。その時、反対側から一人のおじいさんがゆっくりと杖をきながら階段から上がってきた。しかし、よりによって、下る方向から上がってきていたのだ。素早く身を躱しておじいさんとぶつかることなく、無事に地下鉄に乗ることができた。安堵の胸をなでおろしたが、そのおじいさんのことを思い出したら①腹が立った。混雑時に階段を利用する場合、下る方向を間違いえると、事故になりかねないのだ。まもなく席に座ることができ、気分も落ち着いてきたから、周囲の人々が目に入り始めた。会社とメールを交わしている人、報告書のような書類を見ている人、資格試験のための本を見ている人など、私も彼らとあまり変わりはない。
 その時、一人のおばあさんが地下鉄に乗ってきた。ゆっくりと乗るその姿は、出勤時間の忙しさとは全く違う感じがした。②おばあさんの前に座っている大学生とみられる人が、すぐ頭を下げて何かに没頭するふりをした。
 よく見られる光景だが、あまりいい光景ではない。もちろん、老弱の人だけが座れる場所ではないから、当然なこととして譲る義務はないが、譲ってあげてほうしいという気持ちになるのは私だけではないと思う。その時、地下鉄に乗った時の私の姿が浮かび上がってきた。
 国は全ての人の安全のために規則を定め、国民はそれに従わなければならない。場合によっては、守らなくても処罰されない場合があるとしても。階段を駆け足で降りながら規則を守らなかった私と、進行方向を守らなかったおじいさん。両方とも誤りはあるが、何かもっと他のところに、過失の原因があるのではないだろうか。一日中、これが気にかかったが、明快な答えが得られなかった。家に帰ってじっくり考えてみたら、人の行動を、規則ですべて決めることはできないのではないかという気がした。被害を最小化するために規則が存在する。私の行動はそのおじいさんに大きな被害を与えたかもしれなかったが、おじいさんの行動は私に大きな被害を与えたわけではなかった。そして、自分の姿を反省する時間になった。

1。 問1:筆者は、なぜ①腹が立ったと述べているか。

2。 問2:筆者は、②おばあさんの前に座っている大学生をどう思っていたか

3。 問3:規則について筆者が一番言いたいことは何か