「信頼」とは、相手のことを信じ、またお互いに頼りにすることである。立場や年齢の違いを意識しているうちは「信頼」関係など生まれないであろう。互いに一個人として良さも悪さも認め合ってはじめて「信頼」できるのである。 私は大学時代、ヨットクラブに所属していた。ヨットは多少珍しいスポーツとも言えるので、全く経験のない人から、経験者までが一緒にクラブ活動を行う。するとどうしても技術の差や学年を原因とするすれ違いが起こってしまうのである。そのような中で、私は幼い頃からヨットに親しんできたこともあって、ある一定の知識と経験があった。クラブ活動の中で私は経験不足の部員の分も頑張らねばといった気負いと、経験のある後輩部員には負けたくないという①プライドもあった。そんな私はいつの日か周囲にいる部員、すなわち仲間の声が聞こえなくなっていることに気がついた。 ある時、同輩部員が私の肩を叩きながら「一人でがんばらなくても、周りの仲間もいるよ。一緒にやっていこう。もっと肩の力を抜いて」と話した。それを聞いた私は②目の覚める思いだった。私はいつの間にか、自分の過剰な自信とプライドによって、「仲間に頼るということ」をしなくなっていたのだ。その時私は頼ることを恥と思っていたに違いない。 しかし互いを信じ、足らないところを補い合うことで一体感は生まれる。頼ることは弱いことではなく、また弱点でもなく、自分の不足を認めるとても勇気のいることなのだ。社会に出ても同じことである。現代では、人と人との間に「信頼」関係が薄くなってきたと言われているが、それはお互いが敵対して上下の物差しで見ているからだと私は考える。もちろん、企業などでは上下の関係は必要ではあるが、お互いに平等な一個人としてみていくことが評価などにもつながるのではないだろうか。そうすることによって誰にでも良い面と悪い面があるという当たり前のことに気付くだろう。お互いを認め合ってみんなで補い合うことで、「信頼」関係が生まれ、共に成長できるのだ。私はクラブ活動を通して、人を「信頼」することの難しさと大切さを学び、「信頼」できる仲間を得ることが学生時代にできた。社会人として就職してもこの体験を常に忘れないように心がけ、「信頼」できる人間関係を築いていきたいと考えている。

1。 (問1) 筆者はこの体験で①プライドをどのように考えるようになったか。

2。 (問2) ②目の覚める思いだったとは、どのようなことか。

3。 (問3) 筆者が最も言いたいことは何か。