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従来の見方では、縄文晩期から弥生時代にかけて
(注1)稲作が日本列島にわ
たってきてからの列島社会は、基本的に農業、稲作を中心とするようになり、海によって周囲から隔てられた
(注2)島々の中で、自給自足の生活を営む孤立した社会であった、と考えられてきたと思います。しかし、この常識的な見方はじつはまったく偏っており、こうした日本列島の社会像は誤った虚像
(注3)であるといわなくてはなりません。
まず、海によって周囲から隔てられた島々というのは、ことの一面のみをとらえた見方です。たしかに海が人と人とを隔てる障壁の役割をすることのあるのは、もとより事実ですが、しかし、それは海の一面で、海は逆に人と人を結ぶ柔軟な交通路として、きわめて重要な役割を果たしていたことも間違いありません。
(網野善彦『日本の歴史をよみなおす(全)』筑摩書房による)
(注1)縄文晩期から弥生時代にかけて:紀元前11〜3世紀ごろ
(注2)隔てられた:空間的に離された
(注3)虚像:実際とは違う姿