「生きるために、食べるために、労働は生まれた」と言われますが、それはヒト以外の動物も同じで、生きるために食べものを求めて活動しています。ヒトがほかの動物と異なるのは、社会という集団生活をおこなう点ですが、これはサルやゾウや鳥たちに限らず、アリやハチなどの虫たちも含め、多くの動物は集団生活をおこなっているので、単に集団生活だけをとらえて、ヒトをほかの動物と区別するわけにはいきません。
 社会を形成するという点に着目しても、原始的なレベルではサルの集団とほとんど差異がありません。
 ところが、ヒトは二足歩行により前足を自由にしました。つまり手をもち、そのことで自然物を道具にすることができました。さらにみずからの手で、その道具を改善することができました。そして新しい素材で新しい道具を生み出すことができます。このプロセス、すなわち道具をつくりだすことができたという点こそが、ほかの動物と明らかにちがい、一線を画する(注1)ことになったといわれています。サルは身のまわりにあるものを道具として使うことができますが、つくりだすことはできないのです。
 そして、ここからが大事なところです。道具によって、自分ひとりあるいは子どもを養うことのみならず、働けなくなった、つまり食べものを自分で得ることができなくなった年老いた親を、ヒトは養うことができるようになります。親のめんどうをみることこそが、ヒトがほかの動物と決定的に異なる点です。
 もちろん、以前はいまのような長寿が約束されたわけではないので、働けない年齢になったら基本的には自然に死んでいくというのが大部分でしたが、それでもいわゆる生産不能になった高齢者たちも共存できる社会を、人類はずいぶん前からもっていたようです。つまり、道具の利用と開発によって、ヒトは①生産者と後継者以外も生活できる余剰(注2)生産が可能になり、老親たちが生存できたわけです。
(中略)
 職業あるいは労働などという概念ができたのは、長い人類史の中ではつい最近のことです。このような理解に立つと、いわゆる生産能力がない人や乏しい人が暮らせる社会こそが、人類が長年求めてきた夢の社会なのです。豊かな社会とはこの夢が実現した社会のことだと、私は確信しています。

(光野有次『みんなでつくるバリアフリー』岩波新書による)


(注1)一線を画する:区別がはっきりする
(注2)余剰:いま必要な分を超えた残り

1。 (1)筆者は、ヒトとほかの動物は、どんな点で決定的に違うと言っているか。

2。 (2)①生産者と後継者とは、何と何を指しているか。

3。 (3)筆者が考える理想的な社会は、どんな社会か。