(2)
 動物園の飼育係時代は、「自分のための動物の絵」を描く必要はなかった。飼育係は一般の人には想像できないくらい動物と濃いつきあいをしている。掃除、エサ作り、体の手入れ、観察、病気の看護、そして死んだら解剖をする。いつもウンコまみれ、血まみれだ。
(中略)
 実際に鉛筆を持ってスケッチブックに描くということはしなかった。でも何度も何度も、目でなぞるように(注1)追っていた。対象が何であっても、絵を描くとき
は形や色、質感などを凝視する(注2)。筆で絵を描くときのように、ぼくは動物たちをいろんな角度で観察し目で描いていた。そんな風にして動物と接し、①皮膚感覚として動物がぼくの体に入ってきていた。だから、描かなくてもよかった。画家になることを目指していたころは、一枚でも多く絵を描こうとしていたし、それが
上達の近道だと思っていた。でもそのころのぼくは違っていた。描く時間がなくても気にならず、むしろ実際にスケッチして絵を描く以上に“絵の描き方”を学んでいると、感じていた。

(あべ弘士『動物の死は、かなしい?一一元動物園飼育係が伝える命のはなし』
河出書房新社による)


(注1)目でなぞるように:目で絵を描くように
(注2)凝視する:じっと見る

1。 (1) ①皮膚感覚として動物がぼくの体に入ってきていたとは、どのようなことか。

2。 (2)筆者が飼育係をしていたとき、動物の絵を描かなかった理由は何か。