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 もともと世界中の人々は同じ言葉を使っていた。そして自分たちが地上にちらばってしまうのを防ぐため、統合の象徴として天まで届く高い塔を建設しようと考えた。これがバベルの塔です。
 ところが神は、人間がこのようなことを企てるのはみんなが同じ言葉を話しているせいであり、放っておくとどんなに大それたこと(注1)をしでかす(注2)かわからないと考えて、彼らの言葉を混乱させてたがいに理解できないようにしてしまった、というのですね。世界には3000以上の言語がある、とはじめに申し上げましたが、なぜ言葉がこんなにばらばらになってしまったのかを説明するために、こうした物語が考え出されたのでしょう。
 確かに、地域によってこれだけ多様な言語が使われているというのは、考えてみれば不思議なことでもあり、たいへん不便なことでもあります。もし世界中の言語が統一されたら、どこに行っても誰とでも話せるし、外国旅行も気軽にできるわけですから、どんなに便利だろうと思ったことのある人も少なくないでしょう。実際そうした理念(注3)から、世界共通の言葉として「エスペラント語」という人工言語を作る試みがなされてきたことは、みなさんもご存知だと思います。
 しかし、逆にこう考えてみることもできるのではないでしょうか。もし世界にひとつしか言語が存在しなかったとしたら、これほど変化に富み、これほど魅力的で、これほど豊かな文化が生み出されることはなかったのではないか。言語がばらばらだからこそ、世界にはあんなにも個性にあふれた多彩な文化が形成されてきたのではないか。そして私たちは、それらの文化に触れることで、自分とは異なる価値観、異なる習慣、異なる思想、異なる信仰をもった人たち、つまり①絶対的な「他者」というものが、世界のいたるところで生きているのだという厳粛な(注4)事実にはじめて想いをいたし(注5)、そのことに率直に驚き、心の底から謙虚になることができるのではないか。また、そうした人々と話がしたい、理解しあいたいという、切実な(注6)欲求を抱くことができるのではないか。
 つまり、バベルの塔が挫折(注7)してしまったせいで、確かに世界の人々は別々の言語を話すようになり、簡単にはコミュニケーションがとれない不便な状況に置かれてしまったけれども、逆にそのおかげで、私たちは未知の言語を学ぶ機会を与えられたのであり、それを通して、異文化にたいする関心やあこがれを抱く喜びを与えられたのではないか一むしろそう考えてみるべきなのではないでしょうか。

(石井洋ニ郎「『星の王子さま』と外国語の世界一文化の三角測量」
東京大学教養学部編『高校生のための東大授業ライブ純情編』東京大学出版会による)


(注1)大それたこと:常識の範囲から大きく外れていること
(注2)しでかす:大変なことをしてしまう
(注3)理念 :物事がどうあるべきかについての基本的な考え
(注4)厳粛な:厳しい、変えられない
(注5)想いをいたし:遠く離れた物事に関心を向けて
(注6)切実な:身近で重大なために、強く感じられる
(注7)挫折:だめになること

1。 (1)筆者は、「バベルの塔」の物語が考え出されたのはなぜだと言っているか。

2。 (2)①絶対的な「他者」とは、どのような人たちか。

3。 (3)筆者は、人間社会に多くの異なる言語が存在することをどう考えているか。