短文
(1)
 災害にもろいとは、災害が起こったとき、大きな被害が発生し、その影響が長く続くという意味で使います。なぜ災害にもろくなるのか、その理由を考えてみましょう。まず、災害は大きなものほどそれほど頻繁に(注)起こらないことが挙げられます。災害に強いまちづくりや家づくりをしなければならないのに、ついつい災害を忘れてしまうからです。
 たとえば、住宅を新築したとしましょう。わが国では、建てたが最後、家の手入れを積極的にやらないのが一般的です。台風で屋根瓦が飛んだり、大雨で浸水して壁土が落ちたりすれば修理します。つまり、雨漏りがしなかったり、目で見て被害がわからなければ、家は補修しないのです。ですから、わが国では住宅は古くなればなるほど不動産価格は急激に下がります。そして、それと同時に災害にもろくなるのです。

(河田惠昭『これからの防災づ咸災がわかる本』岩波書店による)


(注)頻繁に:よく

(1) 筆者は、住宅に関する日本人の傾向について、どう考えているか。

短文
(2)
 仕事で文章を読む場合は、自分が読みたいとは思っていないものも読まなくてはいけません。かといって、仕事中はゆっくりと読む時間がとれないことも多いでしょう。ビジネスの文章の読み手は、あまり労力をかけずに、仕事に必要な情報だけを手に入れたいのです。
 ですから、ビジネスの文章を書くときは、読み手に負担をかけないようにすることが大切です。書き手は、内容を正確に伝えることだけでなく、いかに伝わりやすく書くかに注意しなくてはいけません。

(2) 筆者は、ビジネスのための文章を読む人はどんな人だと言っているか。

短文
(3)
 ぼくは痛みが嫌いです。それは痛みというものが、単に肉体的な痛みや苦痛であるだけでなく、人間の精神にまで大きな影響をおよぼすものだからです。
 元気になるための治療なのだから少々の痛みは我慢しなさい、というのがこれまでの医療の立場でした。もっと無神経な治療の現場では患者の痛みそのものが無視されていたようなケースもありました。
 病気を治すのだから痛みがあるのはあたりまえだ、というのが暗黙のうちにほ(注1)常識となっていたのです。(中略)しかし、苦痛によって精神が破れることもあるのは事実です。痛みは肉体を蝕む(注2)だけでなく、人間の心や魂までも変形させるものなのです。だから、ぼくは痛みが嫌いです。

(五木寛之『生きるヒント 5 —新しい自分を創るための12章一』文化出版局による)


(注1)暗黙のうちに:何も言わなくても
(注2)蝕む:少しずつだめにする

(3)筆者が痛みを嫌う理由として、最も適切なものはどれか。

短文

(4) この手紙の内容として正しいのはどれか。

短文
(5)
 皆さんは、お米を買ってきたらどのように保存していますか。いちばんよくないのは、買ってきたときに入っていた袋に入れたまま、日光の当たるところに常温で置いておく方法です。これだと1力月ぐらいでおいしくなくなってしまいますので、お米は密閉できる入れ物に入れて、冷蔵庫で保存するのがおすすめです。しかし、冷蔵庫でも3力月ぐらいで味が落ちてきてしまいます。これは、お米に含まれるアミラーゼという物質が減ってしまうことによります。お米も生鮮食品(注)と考えて保存したほうがいいですね。
(注)生鮮食品:新鮮であることが求められる食べ物

(5)筆者が、お米をおいしく食べる方法として挙げていないのはどれか。

短文
(4)
 人間は昔から、自然の様々な恩恵を受けて生活してきた。それも、ただ自然の中で暮らすだけではなく、田畑を作り動物を飼い、街を作るというように、自然に手を加え、自分たちが生きていくための環境を整えてきた。ある時代までは、人間による開発は自然にそれほど影響を与えていなかったと言える。しかし、18世紀以降の工業の発展により、人間が自らのために行う活動は、①そのバランスを大きく崩すようになった。現在、人間は自然を維持することを考えながら生活する必要に迫
られている。
 そこで、地球上に生きる多様な動植物の生態を知ろう、という動きが最近盛んになってきた。豊かな自然を守るためには、どこにどんな生物が存在し、互いにどのような影響を与え合っているのか、という自然のメカニズムを深く理解する必要がある。ただし、知識さえあれば自然を維持できるというものではない。例えば、ある動物に絶滅の危険があったとしても、人間の知識でそれを予測し防ぐことは容易ではないだろう。確かに、知ることは環境保護の第一歩である。しかしながら、それだけで十分だと思わず、自然と謙虚に向き合うことが重要である。

(12)①そのバランスとは、何と何のバランスか。

(13)筆者は、自然を維持するために最も大事なことは何だと言っているか。

中文
(1)
 2000年から2001年にかけて、全国紙として有名な新聞が、基本の活字を少し大きなものに変えました。地方紙も同じだったと思います。高齢者人口の増加が原因で
しょうが、新聞を読む人の総数の中で、老眼鏡を必要とする人の割合が増えたからです。
 新聞だって「お客様は神様」でしょうから、その「神様」のニーズに沿って紙面を変えるということは、とうぜんのことです。その案内の記事では、これまでの活字と新しい活字を比較して、いかに①見やすくなったかがしめされていて、わかりやすく納得できるものでした。そして、各社ほとんど同じことを書いていたと思いますが、紙面の大きさは変えないわけだから、「文字が大きくなった分、文字数を減らさねばなりません。そこで、記事は要点をおさえ簡略化して適切化をはかる」というような説明になっていました。なるほどと思う一方、これまではそうでなかったのかなとも思いました。
 大きな活字の本も出まわるようになってきました。とくに辞書は同じ内容で同じデザインで大きな版のものが出て、老眼鏡なしでも利用できるとありがたがられています。ただサイズが大きくなった分、大きく重いという欠点もありますが、その快適さに換えられないという人には問題になりません。

(光野有次『みんなでつくるバリアフリー』岩波書店による)

(1)①見やすくなった一番のポイントは何か。

(2)この文章によると、活字を大きくしたことによって、新聞と辞書はどのように変わったか。

中文
(2)
 動物園の飼育係時代は、「自分のための動物の絵」を描く必要はなかった。飼育係は一般の人には想像できないくらい動物と濃いつきあいをしている。掃除、エサ作り、体の手入れ、観察、病気の看護、そして死んだら解剖をする。いつもウンコまみれ、血まみれだ。
(中略)
 実際に鉛筆を持ってスケッチブックに描くということはしなかった。でも何度も何度も、目でなぞるように(注1)追っていた。対象が何であっても、絵を描くとき
は形や色、質感などを凝視する(注2)。筆で絵を描くときのように、ぼくは動物たちをいろんな角度で観察し目で描いていた。そんな風にして動物と接し、①皮膚感覚として動物がぼくの体に入ってきていた。だから、描かなくてもよかった。画家になることを目指していたころは、一枚でも多く絵を描こうとしていたし、それが
上達の近道だと思っていた。でもそのころのぼくは違っていた。描く時間がなくても気にならず、むしろ実際にスケッチして絵を描く以上に“絵の描き方”を学んでいると、感じていた。

(あべ弘士『動物の死は、かなしい?一一元動物園飼育係が伝える命のはなし』
河出書房新社による)


(注1)目でなぞるように:目で絵を描くように
(注2)凝視する:じっと見る

(1) ①皮膚感覚として動物がぼくの体に入ってきていたとは、どのようなことか。

(2)筆者が飼育係をしていたとき、動物の絵を描かなかった理由は何か。

中文
(3)
 私たちは、呼吸によって空気中から酸素をとりいれています。酸素がなかったら窒息して(注1)死んでしまいます。酸素は私たちが生きていくために欠かせない大切なものです。ところがこの酸素は、じつは私たちのからだに害を与える毒でもあ
ることは、あまり知られていません。
 酸素はちょっとしたきっかけで「活性酸素」というものに変身します。活性ということばの響きからは、私たちのからだのために活発にはたらいてくれるようなイメージがあるのですが、その実体はひじょうに攻撃的で毒性の強い曲者(注2)なのです。そして、この活性酸素こそが、さまざまな老化現象をおこす真犯人ではないかと考えられています。(中略)
 生きていくために酸素が必要なのですが、酸素を利用するために老化するのです。私たちは呼吸をするから歳をとるというわけです。呼吸こそが老化と死を引きおこす原因の一つであり、生きているかぎり老化は避けられません。たいへん皮肉なことですね。
 酸素の利用量が少ないと、老化もおさえられるようです。たとえば、酸素の希薄な(注3)高地に住む人ほど長寿の人が多いとか、腹八分目でカロリー制限することで老化の進行が遅くなるというデ一夕もあります。

(伊藤明夫『細胞のはたらきがわかる本』岩波書店による)


(注1)窒息して:呼吸ができなくなって
(注2)曲者:面倒なもの
(注3)希薄な:薄い、少ない

(10)この文章によると、老化をおさえることができるのは、次のどれか。

(11)筆者の考えに合うものはどれか。

統合理解
A
 著者は、この小説でひとつの実験を行った。それは、文体を変えるということだ。今までは、日常生活から小説の世界へすっと入っていけるような、親しみやすい文体を使っていた。しかし、この小説では、古くてかたい表現を多く用い、舞台が現代だということを忘れさせるような雰囲気を作り上げている。この変化に読者は驚くかもしれないが、著者の物語を組み立てる手腕(注1)は変わらず、読者をあきさせない。
 この物語は、続きを予告しているかのような文章が多く、この一冊で終わるとは思えない。次回作への期待がふくらむが、一方で、続きが出なくてもかまわないとも思う。読者は、それぞれが感じた物語の終わりを大切にすることもできるのだ。

B
 この小説ではさまざまなテーマが扱われており、手短に紹介するのは難しい。主人公は、一般的な企業に勤める普通の青年である。その青年が、社会に衝撃を与える金融取引事件に巻き込まれる(注2)。さらに、仕事以外でも問題にぶつかり、青年と両親との対立、親友の死、恋人の病気などに直面したときの心の動きが描かれていく。
著者は、今まで取り組んできたことのすべてをこの小説に詰め込んだ。人間の心は社会的圧力に支配されるものではないとう力強いメツセージを発している。気になるのは、一部の物語が明らかに終わっていないことだ。出版社は公式には発表していないが、私はこの小説の続編がすでに書かれていると信じている。この小説をきちんと評価するのは、最後の物語が出版されてからのこととしたい。
(注1)手腕:物事を行う能力
(注2)事件に巻き込まれる:本人の意思に関係なく、事件に関わらせられる

(1)AとBについて、正しいのはどれか。

(2) AもBも、この小説の続編が出ると言っているのはなぜか。

長文
 「生きるために、食べるために、労働は生まれた」と言われますが、それはヒト以外の動物も同じで、生きるために食べものを求めて活動しています。ヒトがほかの動物と異なるのは、社会という集団生活をおこなう点ですが、これはサルやゾウや鳥たちに限らず、アリやハチなどの虫たちも含め、多くの動物は集団生活をおこなっているので、単に集団生活だけをとらえて、ヒトをほかの動物と区別するわけにはいきません。
 社会を形成するという点に着目しても、原始的なレベルではサルの集団とほとんど差異がありません。
 ところが、ヒトは二足歩行により前足を自由にしました。つまり手をもち、そのことで自然物を道具にすることができました。さらにみずからの手で、その道具を改善することができました。そして新しい素材で新しい道具を生み出すことができます。このプロセス、すなわち道具をつくりだすことができたという点こそが、ほかの動物と明らかにちがい、一線を画する(注1)ことになったといわれています。サルは身のまわりにあるものを道具として使うことができますが、つくりだすことはできないのです。
 そして、ここからが大事なところです。道具によって、自分ひとりあるいは子どもを養うことのみならず、働けなくなった、つまり食べものを自分で得ることができなくなった年老いた親を、ヒトは養うことができるようになります。親のめんどうをみることこそが、ヒトがほかの動物と決定的に異なる点です。
 もちろん、以前はいまのような長寿が約束されたわけではないので、働けない年齢になったら基本的には自然に死んでいくというのが大部分でしたが、それでもいわゆる生産不能になった高齢者たちも共存できる社会を、人類はずいぶん前からもっていたようです。つまり、道具の利用と開発によって、ヒトは①生産者と後継者以外も生活できる余剰(注2)生産が可能になり、老親たちが生存できたわけです。
(中略)
 職業あるいは労働などという概念ができたのは、長い人類史の中ではつい最近のことです。このような理解に立つと、いわゆる生産能力がない人や乏しい人が暮らせる社会こそが、人類が長年求めてきた夢の社会なのです。豊かな社会とはこの夢が実現した社会のことだと、私は確信しています。

(光野有次『みんなでつくるバリアフリー』岩波新書による)


(注1)一線を画する:区別がはっきりする
(注2)余剰:いま必要な分を超えた残り

(1)筆者は、ヒトとほかの動物は、どんな点で決定的に違うと言っているか。

(2)①生産者と後継者とは、何と何を指しているか。

(3)筆者が考える理想的な社会は、どんな社会か。

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(1) 日本の作家の作品がないのは、どれか。

(2)学校の行事としてこの美術館を訪問したい。最初に何をするか。