(6番)
このごろは、すこしすくなくなってきたけれども、手紙のはじめは時候のあいさつで始まることになっている。
紅葉の色づきはじめる季節になりましたが、お変わりなくおすごしのことと存じます。私どももおかげさまで、元気にすごしております。
といった、いわばあいさつのことばである。これをはぶくのは略式、ということになっていて、その場合は、前略、というようなことばで書き出すことになる。女性ならば、前略ごめんくださいませ、のようにする。
手紙の用件をのっけ
(注1)から書くのは、はしたない
(注2)ことにされるのは、①
日本人の心理の反映であろう。まくらのことば
(注3)は、当然たいした意味はない。ただ、あればよい。ないとなんとなくもの足りなさを感じる。
欧米の人は、手紙に、そういう前文をつけない。日本人がよく「突然のお手紙を差し上げる失礼をおゆるしくださいますようにお願い申し上げます」などと書くのを、はじめての人ならいつだって“突然”になるのではないか、そんなことを断るのはおかしい、という。
②
話をしているときでも、同じである。相手の言っていることが、かりに、承服できない
(注4)とき、はっきり否定しなくてはならない場合でも、のっけから、「あなたの言っていることには賛成できません」
などとやれば、ひどく挑戦的
(注5)と受け取られるおそれがある。そんな風に思われてはたまらない。それで、クッション
(注6)をおく。まくらのことばである。
「おもしろいお考えですね。いままで思ってもみませんでしたが、そう言われてみますと、なるほどその通りかもしれないという気がします…」
こういういかにも同調、賛成しているようなことばをまくらにふったあと、おもむろに
(注7)「でも、こういうこともあるのではないでしようか…」
といった切り出しで、自分の反対意見をふ出しにして行くのである。決して結論を急いではいけない。このごろ、「結論的に言って…」というのが、一部で流行しているが、気の弱いきき手の心に訴えるのは難しいであろう。
本当のことは言いにくい。そういう気持ちがある。それで、前置きをおいて、一呼吸おいてから、本題にさしかかるが、それでもなお、一気に結論に入っていくのではない。用心ぶかく、外側から、すこしずつ、近づいていく。本当のところは、できれば、終わりまで、言わなくてすめば、それに越したことはない。言いにくいことを言わないで、相手が察して
(注8)くれれば、もっといい。そういう察しのいい人が、話のわかる人なのである。
(外山滋比古「『ことば』は『こころ』」講談社)
(注1)のっけ:最初の部分
(注2)はしたない:無作法、失礼な
(注3)まくらのことば:本題に入る前に言うことば
〈注4)承服できない:承知できない
(注5)挑戦的:相手と戦うような強い態度の
(注6)クッション:やわらかくするために間に置くもの
(注7)おもむろに:静かに落ち着いて
(注8)察する:相手の気持ちを考える