長文
(1番)
 わたしは、大学に入るまえに、町工場で三年間はたらいていた。
そこで、いろんな人に出会って、仕事を教えてもらい、世の中のことを学んだ。
 現実の社会にいたことが、そのあと、大学の受験勉強をするときに、学科をきわめて(注1)わかりやすいものにした。
 受験したのは、私立大学だったので、受験科目は、国語と社会と外国語の三科目だけだった。社会や国語の試験は、はたらいているときに読んでいた本で、ほぼ間に合わせることができた。
 このように、現実の社会での、①具体的なものをきっかけにしてものを憶えたほうが、はるかに知識が身につく。
 親や教師たちは、ストレートに(注2)上級学校へすすむのがいちばん効率がいいことだとかんがえがちである。しかし、病気で一年おくれたりして、まわり道したひとのほうが、むしろ、人間が大きくなったりする。
 わたしの知り合いの息子で、高三のときに、ひとりで中国の奥地からパキスタンに抜け、トルコを通ってフランスなどのヨーロッパをまわり、大西洋岸のポルトガルまで、ヒッチハイク(注3)で横断した生徒がいる。
 そこでいろんなひとに会った経験は、その後の勉強のプラスになっているようだ。「ピ一スボ一卜」(注4)でいろんな国をまわって、さまざまな人たちに出会う中・高校生もいる。
 こういう体験は②机の上で年表(注5)を暗記するより、はるかに有意義である。
 外国といわなくても、自転車で日本国じゅうをまわることもできる。いまのように、机の上での勉強だけが教育、というかんがえ方は、人間性をゆたかにするじゃまになっている。
 いま、人生は八十年といわれている。このうち、中学時代はたった三年間でしかない。だから、けっして、中学生の三年間で、人生のすべてがきまるわけではない。
 さいきんは、子どもたちが家の仕事の手伝いをしなくなった。
 そんなことをするより、勉強しているほうが子どもにとっていいとかんがえる親がおおくなったためだ。しかし、いまの大人で、子どものときに家の手伝いをしたひとはおおい。
 それは、けっして、そのひとの人生にとって、むだにはなっていないはずだ。
(鎌田慧『学校なんかなんでもない』ポプラ社)
(注1)きわめて:非常に、たいへん
(注2)ストレートに:まっすぐに、直接
(注3)ヒッチハイク:道で、通った車に乗せてもらいながらする旅
(注4)ピースボート:船に乗って色々な国に行き、人々と交流する活動
(注5)年表:歴史上のできごとを、起こった順に並べた表

(問1)①具体的なものの例としてこの文章の中であげられているのは、どれか。

(問2)②机の上で年表を暗記するとは何を表しているか。

(問3)筆者がこの文章でいちばん言いたいことはどんなことか。

長文
(2番)
 もうひと昔前になるが、警察庁のなかに道路交通の委員会が発足し(注1)、第一回の会合に出席したことがある。そのとき事務局からの説明はこうだ。
 「近年、東京その他の大都会で道路が非常にこむようになりました。そこでこの混雑を解消するために、この委員会を組織しました」
 そこで私は聞いてみた。
 「わかりました。では、この委員会は、どういう結果をもたらしたら成功したことになるんですか?」
 評価ーーール一ルといってもいいがーーーを決めてもらわないと、どういう作業をしていいのかわからない。どんな結果になれば、成功したことになるのか、いい換えれば何を最適化すればいいのかをはっきりさせたいと思ったのである。
 しつこく聞くと、①向こうは腹を立てた。とうとう、
「東京の道路の混雑がなくなればいいんです」
といいだした。
 そこで私はこういった。
「東京の道路の混雑を緩和する(注2)。これは簡単ですよ。東京から出るほうの信号機を全部青にしなさい。入るほうは全部赤にしなさい。そうすれば、いったん出たら入れないんだから、東京はガラガラになって混雑はいっぺんになくなる」
 こういう話をすると、不真面目なやつだと怒る人がいるが、私はやけくそになって(注3)いったわけではない。混雑を緩和するといっても、いろいろなやり方があることを指摘した(注4)かったのた。
 たとえばある交差点では、これまで1時間に800台しかクルマが通れなかった。それを新しいやり方にしたら1000台通れるようになった。これを混雑が緩和したというのであれば、そのようなクルマの流れにする規制方法がある。
 また、別のやり方だってある。ある交差点からある地点まで、いままで30分かからなければ行けなかった。それを新しいやり方にしたら、15分で行けるようになった。これも混雑の緩和だと考えることができる。
 最初の方法は、道路の容量をできるだけ増やそうとすやり方、後者は旅行時間をできるだけ短縮するというやり方である。どちらのものさし、評価尺度(注5)を使うかによって、交通規制の仕方が変わってくる。だから、まず②評価の尺度を決めることが必要なのである。
 これは重要なことである。具体的な目標とは何かをクリアにしないで(注6)、なんとなく話し合っているだけでは、結果はたいてい思わしくない(注7)。日本人は言葉を使うのがうまいが、それだけにその言葉の意味をきちんと定義しないで(注8)行動してしまうことが多いのである。

(唐津一『かけひきの科学情報をいかに使うか』?只?研究所)


(注1)発足する:始まる
(注2)混雑を緩和する:混雑を少なくする
(注3)やけくそになって:どうでもいいと思って
(注4)指摘する:問題になることを示す
(注5)尺度:測る基準
(注6)クリアにする:はっきり示す
(注7)思わしくない:あまりよくない
(注8)定義する:ことばの意味をはっきり決める

(問1)①向こうとはだれか。

(問2)②評価の尺度を決めるとはどういうことか。

(問3)筆者がこの文章で一番言いたいことはどんなことか。

長文
(3番)
本来、自由なアイディアを出しあうつもりで開いた会議なのに、いざやってみると「発言する人が少ない」「活発な議論にならない」「伝達や報告だけで終わってしまう」といった結果になってしまう。そんな現象に誰もが覚えがあるのではないでしょうか。
 なぜこんな事になってしまうのでしょうか。本当にだれも発言することができないのでしょうか。発言や意見を自発的にしてもらうためには、何が必要なのでしょうか。①こんなとき進行役や上司が言いがちなのがこのセリフ(注1)です。「とにかく何でもいいから意見を言ってくれ」こんなふうに迫るやり方は効果的でしょうか。残念ながら、このやり方は、余り効果を発揮する場面は多くないようです。なぜなら本当に何でも言っていいという土壌(注2)を持っている会社は稀有(注4)でしょうし、そんな会社であればこんなセリフは飛び出してくるはずもありません。「何でもいいからって、何を言えばいいんだよ。あんたが辞めるのが一番だって言ってもいいのかよ……」参加者は心の中でこんな愚痴を言う(注4)のが関の山(注5)です。その場の「目的」が良く分からなければ、どう発言したらよいか分かりません。だからここでも「目的を明確にすること」は前提として必要なことです。更に発言が少ない要因をよく考えなければなりません。いろいろなケースが考えられると思いますが、「考えがまとまっていないので発言できない」「こんなこと言ったらバカだと思われるのではないか」「下手に言うと、言いだしっぺ(注6)に仕事が回ってくるし」というような心理が、発言を止めている感じはしませんか。つまり、なんらかの防衛(注7)意識が働いて、黙っている。②こういう覚えは誰にでもあるはずです。もしもそんなこと考えたことがない、という方がいたら、「独演会現象」を自ら発生させていないか、疑ったほうがいいかと思われます。
 一生懸命、防衛しているところに、更に、「意見を言え」と迫っても、ますます防御(注8)を固くするばかりです。
 不安や恐れは、人間に対して、多くの行動や発言を阻害します(注9)。結果として余計に率直な発言や行動がやりづらくなるわけです。必要なのは、安全な場をつくることです。発言しても、それを受け入れてもらえるという場づくりが重要です。当然、議論には反対意見や指摘もあるでしよう。しかし、まずは一つの貴重な発言として受
け入れられること。もし反対や指摘があれば、その後にすればいいのです。「一度はかならず受け取る」という習慣が、その組織にあるか無いかが、活発な議論になるかならないかを左右します。

(山田豊『会議で事件を起こせ』新潮社〈P77L3-P79L122006年11月16発行))


(注1)セリフ:話すことば
(注2)土壌:環境
(注3)稀有:大変めずらしい、ほとんどない
(注4)愚痴を言う:言ってもしようがない文句を言う
(注5)関の山:それしかできないこと
(注6)言いだしっぺ:はじめに言い出した人
(注7)防衛:危険を防ぎ、身を守ること
(注8)防御:危険を防ぎ、身を守ること
(注9)阻害する:じゃまをする

(問1)①こんなときとはどのようなときか。

(問2)②こういう覚えとはどんなことか。

(問3)筆者は「会議で活発な議論をする」ために、何が大切だと言っているか。

長文
(4番)
①1000円のモノを500円で買う
②101万円のモノを100万円で買う
 ふたつの例のうち、どちらが得をしているだろうか?
 1000円のモノを500円で買う。これは2倍得した(注1)ような気分になる。確かに割合にしたら50%引きだ。
 それに対して、101万円のモノを100万円で買った場合、値引きの割合はたったの1%弱で、101万円も100万円も額としてはたいして変わらないような気がする。
 しかし、心を落ち着かせてよく考えてほしい一1万円も得をしているのだ!この金額の前では、もはや500円の損得なんてどうでもいい。
 だから私は、1万円以下の買い物での損得には目をつぶり、大きな買い物に対してだけ口出しするようにしたのである。
 このように、費用の削減(注2)はパーセンテージで考えるべきものではなく、絶対額で考えるべきものなのだ。
 お金に対してこういったポリシー(注3)がない人は、高い買い物をする際に、「101万円も100万円もたいして変わらないから、お店の人の勧めるほうでいいや」と考えてしまう。
 家の購入(注4)や結婚式の費用などでどんどん出費が増えていくのは、こういう背景(注5)があるからだろう。お店の人も「家の購入は人生の一大イベントですから」「結婚式は一生に一度ですから」と勧めるので、なぜか「高くてもいいや」と思ってしまう。そんな人に限って、スーパーでの買い物で10円単位をケチったりする(注6)のだから①おもしろい
 こんなことをいうと、「10円単位で節約することが大切なんだ。『チリも積もれば山となる』(注7)というだろう」というお叱りを頂戴しそうだ。
 しかし、每日10円を節約しても1年間で3650円である。だったら、1年で一度1万円の節約をしたほうがはるかに効果的だ。「普段はケチをしてもいいけど、たまにはパッとしたい」という人もいるが、②これはかなり危険な思想である。
 たとえば、毎日100円節約して、たまにパッと5万円を使った場合、次のようになる。
   100〈円〉X365〈日)一5万(円)二八1万3500円
                 (△はマイナスを意味する)
 残念ながら赤字である。こういう人は非常に赤字を出しやすい性質なので、経営者には向いていない。要は節約した気分になっているだけで会計をみていないのである。

(山田真哉『さおだけ屋はなぜ潰れないのか?身近な疑問から始める会計学』光文社)


(注1)得する:何かをした後、お金などが前よりも多く残る
(注2)削減:減らすこと
(注3)ポリシー:行動の基本方針
(注4)購入:買うこと
(注5)背景:後ろ、裏側
(注6)ケチる:金を出したがらない
(注7)チリも積もれば山となる:小さいものでもたくさん集まれば大きなものになる

(問1)①おもしろいと言っているが、何がおもしろいのか。

(問2)②これはかなり危険な思想であると言っているが、なぜ危険なのか

(問3)筆者がこの文章でいちばん言いたいことはどんなことか

長文
(5番)
 まとめ、というのは、実際やってみると、なかなか、たいへんな作業であることがわかる。その面倒さにてこずった(注1)ことのある人は、だんだん、整理したり、文章にまとめたりすることを敬遠する(注2)ようになる。そして、ただ、せっせと本を読む。読めば知識はふえる。材料はいよいよ多くなるが、それだけ、まとめはいっそうやっかいになる。こうして、たいへんな勉強家でありながら、ほとんどまとまった仕事を残さないという人ができる。
 もうすこし想を練らなくては、書き出すことはできない・・・卒業論文を書こうとしている学生などが、よく、そう言う。ぐずぐずしていると、時間がなくなってきて、あせり出す。あせっている頭からいい考えが出てくるわけがない。
 そういうときには、
 「とにかく書いてごらんなさい」
 という助言をすることにしている。ひょっとすると、書くのを怖れる気持があるのかもしれない。それで自分に口実をもうけて、書き出すのを一日のばしにする。他方では、締切りが迫ってくるという焦燥(注3)も大きくなってくる。
 頭の中で、あれこれ考えていても、いっこうに筋道が立たない。混沌とした(注4)ままである。ことによく調べて、材料がありあまるほどあるというときほど、混乱がいちじるしい(注5)。いくらなんでもこのままで書き始めるわけには行かないから、もうすこし構想をしっかりしてというのが論文を書こうとする多くの人に共通の気持ちである。それが①(    )。
 気軽に書いてみればいい。あまり大論文を書こうと気負わない(注6)ことである。力が入ると力作(注7)にならないで、②上すべりした(注8)長編に終わってしまいがちである。いいものを書きたいと思わない人はあるまいが、思えば書けるわけではない。むしろ、そういう気持をすてた方がうまく行く。論文でなく、報告書、レポートでも同じだ。

(外山滋比古『思考の整理学』筑摩書房)


(注1)てこずる:難しくて苦労する
(注2)敬遠する:避ける/やりたがらない
(注3)焦燥:気持ちが急ぐこと
(注4)混沌とした:混乱してはっきりしない
(注5)いちじるしい:はっきりわかる
(注6)気負う:がんばろう、うまくやろうと思う
(注7)力作:立派な作品
(注8)上すベりした:表面だけの

(問1)①(   )には、どんな言葉が入るか。

(問2)②上すべりした長編とはどんなものと考えられるか。

(問3)これから卒業論文を書く学生に対して筆者はどんなアドバイスをすると考えられるか。

長文
(6番)
 このごろは、すこしすくなくなってきたけれども、手紙のはじめは時候のあいさつで始まることになっている。
 紅葉の色づきはじめる季節になりましたが、お変わりなくおすごしのことと存じます。私どももおかげさまで、元気にすごしております。
 といった、いわばあいさつのことばである。これをはぶくのは略式、ということになっていて、その場合は、前略、というようなことばで書き出すことになる。女性ならば、前略ごめんくださいませ、のようにする。
 手紙の用件をのっけ(注1)から書くのは、はしたない(注2)ことにされるのは、①日本人の心理の反映であろう。まくらのことば(注3)は、当然たいした意味はない。ただ、あればよい。ないとなんとなくもの足りなさを感じる。
 欧米の人は、手紙に、そういう前文をつけない。日本人がよく「突然のお手紙を差し上げる失礼をおゆるしくださいますようにお願い申し上げます」などと書くのを、はじめての人ならいつだって“突然”になるのではないか、そんなことを断るのはおかしい、という。
話をしているときでも、同じである。相手の言っていることが、かりに、承服できない(注4)とき、はっきり否定しなくてはならない場合でも、のっけから、「あなたの言っていることには賛成できません」
 などとやれば、ひどく挑戦的(注5)と受け取られるおそれがある。そんな風に思われてはたまらない。それで、クッション(注6)をおく。まくらのことばである。
 「おもしろいお考えですね。いままで思ってもみませんでしたが、そう言われてみますと、なるほどその通りかもしれないという気がします…」
 こういういかにも同調、賛成しているようなことばをまくらにふったあと、おもむろに(注7)「でも、こういうこともあるのではないでしようか…」
 といった切り出しで、自分の反対意見をふ出しにして行くのである。決して結論を急いではいけない。このごろ、「結論的に言って…」というのが、一部で流行しているが、気の弱いきき手の心に訴えるのは難しいであろう。
 本当のことは言いにくい。そういう気持ちがある。それで、前置きをおいて、一呼吸おいてから、本題にさしかかるが、それでもなお、一気に結論に入っていくのではない。用心ぶかく、外側から、すこしずつ、近づいていく。本当のところは、できれば、終わりまで、言わなくてすめば、それに越したことはない。言いにくいことを言わないで、相手が察して(注8)くれれば、もっといい。そういう察しのいい人が、話のわかる人なのである。

(外山滋比古「『ことば』は『こころ』」講談社)


(注1)のっけ:最初の部分
(注2)はしたない:無作法、失礼な
(注3)まくらのことば:本題に入る前に言うことば
〈注4)承服できない:承知できない
(注5)挑戦的:相手と戦うような強い態度の
(注6)クッション:やわらかくするために間に置くもの
(注7)おもむろに:静かに落ち着いて
(注8)察する:相手の気持ちを考える

(問1)①日本人の心理とはどのような心理だと言っているか。

(問2)②話をしているときでも、同じであるとあるが、何が同じなのか。

(問3)この文章で筆者が言っていることと合わないものはどれか。