インターネット上の書き込みに対しても、名誉棄損(めいよきそん)罪は活字や放送メディアと同じ程度の厳しさで適用される。そういう初の判断を最高裁(さいこうさい)が示した。
 罪に問われた男性は自分のホームページで、外食店を展開する企業を「カルト集団」などと中傷した( 41 )。一審の東京地裁(とうきょうちさい)は、ネットで個人利用者が発信する情報の信頼性は一般的に低いとして、従来より緩やかな基準を示して無罪とした。だが、東京高裁(こうさい)、最高裁ともこれを認めなかった。
 第三者を傷つける可能性のある安易なネットでの情報発信にくぎをさしたきわめて妥当な判断だ。ネット空間を無秩序な世界にしてはならず、( 42‐a )に基づく社会の( 42‐b )を同じように適用するという考え方を示したといえる。
 ネット上のトラブルは急増している。全国の警察に寄せられた中傷被害は年に約1万件を超える。その中には、匿名性を( 43 )無責任な発信をしたものも多い。
 実際、ネット上には根拠のない記述や誹誘(ひぼう)中傷があふれている。ネット百科事典にもそうした記述が増え、内容を管理するボランティアが不適切な書き込みの削除に追われている。
 一方で、悪質な書き込みについて削除を求められても放置し、裁判で賠償(ばいしょう)命令が出ても応じない管理人もいる。
 思い出すのは昨年、お笑いタレントのプログに、殺人事件に関与したかのような中傷を繰り返したとして、警視庁(けいしちょう)が6人を書類送検した事件だ。
 2002年に施行されたプロバイダー責任制限法で、被害者はネット接続事業者に発信者の情報開示を求めることができるようになった。この事件では、そうして発信者を見つけた。
 事情を聴かれた人たちの多くには、犯罪の意識がなかったという。実名であれ匿名であれ、情報は発信者の責任であることに気づかなかったわけだ。
 首相がツイッターでつぶやき、有権者がじかに反応を返す。そんなことまで、できる時代になった。
 ネットには、職業、地位、年齢などにかかわらず誰もが平等に参加し、自由に議論ができるという特性がある。それをうまく利用すれば、闊達(かったつ)な言論空間として生かすことが可能だ。
 ( 44 )、社会はまだこの可能性をうまく使いこなしているとはいえない。法に触れるようなケースでなくても、気軽に書き込んだ言葉が書き手の想像を超えた範囲に広がり、相手を深く傷つける場合もある。
 自由な発言には責任が伴うことを自覚しないといけないのは、ネット上でも同じことだ。次世代を担う子どもには、あふれる情報を読み解き、正しく発信する能力を身に( 45 )。
 ネット空間を、秩序ある公共の場にする。それは私たちの社会のとても重い課題だ。

(「朝日新聞」2010年3月18日付)

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