漢字読み

1。 木村さんは誰に対しても等しく接する人だ。

2。 石川さんのけがは、軽傷だったらしい。

3。 費用はみんなで負担した。

4。 湖に映った夕日がきれいだ。

5。 9月の下旬に旅行に行く予定です。

漢字読み

6。 その行為は交通ルールにいはんします。

7。 いさましい声が聞こえてきた。

8。 その店にはようきな音楽が流れていた。

9。 楽しみにしていたドラマをみのがしてしまった。

10。 来月から、道路をかくちょうするための工事が始まる。

文脈規定

11。 この建物は(  )町長の時代に建てられたものだ。

12。 池田さんには何度も助けてもらっているので、今回は頼み(  )。

13。 この歌の歌詞は政治(  )が強いように感じられる。

文脈規定

14。 今日は残業で疲れていて夕食を作るのが(  )だから、外で食べて帰ろうと思う。

15。 この犬のロボットは動きが自然で、まるで(  )の犬のようだ。

16。 山下先輩は私の(  )で、いつか山下先輩のようになりたいと思っている。

17。 今日会社で京都支社から東京本社への(  )を命じられ、今月末に東京へ引っ越すことになった。

18。 この辺りの農家は、無農薬で野菜を(  )しています。

19。 四彼は私の意見に対して何も言わなかったが、(  )ことで同意を示してくれた。

20。 机の上がいろいろな物で(  )しているから、早くきれいに片付けよう。

言い換え類義

21。 この仕事はとてもハードだ。

22。 その話を聞いて動揺した

23。 早く引き返したほうがいい。

24。 機能を一層強化したい。

25。 急にひどい頭痛がしてきたので、かかりつけの病院に行った。

実践練習

26。 特殊

27。 素材

28。 しみる

29。 充満

30。 めくる

文法形式の判断

31。 X市とY市を結ぶ橋が、約10年の工事(  )、昨年ようやく完成した。


32。 「田中さんがこの会社をやめるって話、まだ秘密みたいだから、悪いけど、聞かなかった(  )にしてくれない?」


33。 最近、よくお腹が痛くなるので、病院で診てもらったら、(  )ストレスが原因だろうと言われた。


34。 私は、急な雨(  )、いつも折り畳み傘を持ち歩いている。


35。 (自転車屋で)
客「すみません、自転車のブレーキ、壊れちゃったんですけど、すぐ直りますか。」
店員「そうですね、これだったら30分(  )直りますよ。」


36。 (講演会で)
司会「ご来場の皆様、本日は第3回さくら市教育講演会に(  )、ありがとうございます。」


37。 夫は動物が好きじゃないから、もし私がペットを飼いたいと言っても、(  )。


38。 今はスポーツも演劇もテレビで見られる時代だが、直接見ることに(  )得られない感動というものがある。


39。 子供のおもちゃは、種類ごとに透明なケースにしまって中身がわかる(  )、子供がおもちゃを探しやすくなるので、おすすめです。


40。 昨日購入した中古の大型バイクは、かなり古いものなのだが、とてもきれいな状態だった。前の持ち主によほど大切に(  )。


41。 (電話で)
上田「課長、すみません、今日お休みをいただけないでしょうか。娘と夫が風邪で熱を出してしまったんです。」
課長「それは大変だね。わかりました。看病で疲れて、上田さんが(  )。」


42。 山田「林さんの手作りクッキー、本当においしかったです。どうもありがとうございました。」
林「どういたしまして。山田さんにおいしいって(  )です。」


文の組み立て

43。 他社からの質問や問い合わせには、一度社内で_ _  _できないことになっています。


44。 昨日の夜は、11時までには_ _  _、結局寝たのは1時だった。


45。 私は、新しいことにチャレンジするときでも悩まない。_ _  _と思っているからだ。


46。 家の近くの本屋では_ _  _少し遠いけど行ってみようと思う。


47。 話題のカレー屋さんを初訪問。野菜の_ _  _「夏限定ベジタブルカレー」。評判どおりのおいしさだった。


文章の文法
以下は、伊能忠敬という人物について書かれた文章である。

 初めて正確な日本地図を作成した人物として知られる伊能忠敬は、1745年、上総国(今の千葉県)に生まれた。優れた経営者だった忠敬だが、50歳を前に仕事をやめ、興味が
あった星や暦について高橋至時のもとで(48)。19歳も年下の至時を忠敬は敬い、熱心に勉強した。
 当時の学者たちの関心は、地球の直径を知ることにあった。江户(今の東京)から蝦夷地(今の北海道)までの距離は当時はまだわからなかったが、それが(49)正確に直径が計算できると知った忠敬は、蝦夷地へ行くことを願う。しかし、蝦夷地に行くには国の許可が必要だった。至時は、蝦夷地の地図作成を理由に国の許可をとり、忠敬を担当にする。(50)、忠敬55歳のとき、地図作りの旅が始まった。
 昼間は測って歩き、夜は星を観察して昼間測った数値を修正する日々が続いた。完成した蝦夷地の地図は国から高く評価され、忠敬は東日本の地図作成も(51)。地図作成の旅は順調に終わったが、完成前、忠敬を支え続けた至時が病気で亡くなってしまう。一番の理解者である至時を失い、忠敬はひどく落ち込んだ。だが、悲しみに耐え、さらに命じられた西日本の地図作成にも取り組む。旅を終え、完成に向けて作業の最終段階に入っていた1818年、忠敬は73歳で人生の幕を閉じた。作業は弟子らが続け、1821年、日本全国の地図が完成した。
 忠敬は自分に大きな仕事ができたのはすべて至時先生のおかげだと書き残している。歴史に残る(52)は、二人の信頼関係によって、誕生したのである。

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