短文
(1)
以下は、ある山の案内である。
秋森山
秋森山は高さ約600メートルで、頂上まで約4キロメートルの緩やかな登山道が続いています。途中、動物の姿に見える犬岩や狼岩、舞台のように大きく平らな岩ちあり、おもしろい形の岩を探しながら登る楽しさがあります。登山道では、四季を通じてさまざまな植物を楽しめるほか、春から初夏にかけては多くの野鳥を観察することもできます。秋の紅葉は格別で、山全体に鮮やかな景色が広がります。そのため、この時期には多くの登山客が訪れています。

(55)この案内から、秋条山についてどんなことがわかるか。

短文
(2)
 しばしば作文にはお手本のようなものが示されることがありますが、私は、これはナンセンス(注)だと思います。文章の形式的なかことならばともかく、内容にまで触れて、このように「書くべき」とか、このように書けば評価されるというマニュアルは大敵です。なぜなら、マニュアルには、あなたにしか書けないことをすべて否定してしまうことにつながる可能性があるからです。自分に見えるもの、少しでも人とは違って見えるもの、それにこだわりましょう。
(注) ナンセンス : 意味がないこと

(56) お手本のようなものによって、作文はどのようになる可能性があるか。

短文
(3)
 以下は、ある学生寮の掲示板に掲示された文書である。
2017年12月1日
寮生各位
学生寮 管理室
 年末のごみの収集について
 年内のごみの収集は、12月27日(水)が最終日となります。
大掃除や引越し等で多量のごみを出す場合は、22日(金)までに管理室までご連絡ください。
また、大型ごみを捨てる場合は、各自で市の清掃局へ収集の申し込みが必要です。収集日は清掃局から指定されますので、管理室にもお知らせください。なお、年内収集の申し込みは18日(月)が諦め切りとのことです。
ご協力をよろしくお願いします。

(57)年内に大型ごみを捨てたい寮生は、どうするように言われているか。

短文
(4)
 いいアイディアが出ると、すぐに実行しないと気がすまない私は、もちろん、成功の可能性が高いと予測して実行に移すのだが、そのときに失敗の可能性を考えていないわけではない。
 人間のすることに和失敗はつきもの(注1)で、トラブルに巻き込まれる(注2)こともあるから、ときにはどうしても避けられない形で失敗が訪れる。経営の現場でより重要なのは、その失敗をいかに(注3)うまく処理できるかということである。あらかじめ失敗を想定(注4)しているからこそ、適切な処理も可能となる。
(注1) つきもの : ここでは、避けられないもの
(注2) トラブルに巻き込まれる : トラブルに唱う
(注3) いかに : どのように
(注4) 規定する : ここでは、起こるものとして考える

(58)経党の現場における失敗について、筆者はどのように述べているか。

短文
(5)
 自動車で旅して歩くことを、鉄道の旅よりも良いと感じる所以(注1)は、いつ出発してもいいし、どこでどれだけ立ち止まっつてもいいということである。鉄道の車窓から、あ、良い風景と感心したとて(注2)、それは一瞬のうちに後方に流れ去って実際にその場所に立ってそれを味わうことは事実上不可能である。だから鉄首の車窓の風景は一種の「幻(注3)」だと言ってもよい。
 しかし、名も無き道を、ゆっくりとドライブして、その行く先々に発見する風景は、自在(注4)に立ち止まり、そして一日でも眺めていることができる。
(注1) 所以 : 理由
(注2) 感心したとて : 感心したとしても
(注3) 幻 : あるように見えて、実際には存在しないもの
(注4) 自在に : 自由に

(59)筆者は自動車の旅のどのような点がいいと思っているか。

中文
(1) 
 大学で「よく学び、よく人遊ぶ」ためには、時間の使い方が重要です。「大学生の楽しさ」に目覚めると、本当に忙しくなります。講義だけなら、宿題が出されたり授業中に当てられたりした高校時代のほうが、よほど大変です。大学の講義の多くは、聞いていれば済むし、たまに見を求める教員がいても、受講する前に勉強してこなかったからと責める教員はいませんから、やりすごし(注1)さえすれば終わりです。だから、講義だけ見れば、一定時間教室に「拘束(注2)される」ことを除けば、ほとんど苦痛はありません。しかし、こうして講義をただ聴いているだけ
では、得られることもごく限られます。ときどき「高校時代の授業のほうが充実していた」と考える人がいるのは、そのためです。
 しかし、大学で講義している教員は、講義内容よりもはるかにレベルの高い、広い知識を持つているのが普通で、講義ではそのうちの基本的なことだけを伝えているにすぎません。出し惜しみしている(注3)のではなく、学生の理解力と講義時間の制約(注4)によって、そうせざるをえないのです。だから、講義で興味を抱いたり疑問を感じたことがあれば、教員の研究室を訪ねて質問すると、驚くほど豊富な話をしてもらえます。
 学生らしい大学生活を送るには、こうした「講義からはみだす時間」も必要ですし、将来の就職活動に備えて、在学中にやっておきたいことのための時間も要ります。
 これらを計画的に組み立てれば、無駄も省け、時間的にも気持ちのうえでも「ゆとり」(注6)が生まれます。
(注1) やりすごす : ここでは、ただ時間が過ぎるのを待つ
(注2) 拘束される : ここでは、いなければならない
(注3) 出し憎しみしている : ここでは、伝えることができるのに伝えない
(注4) 制約 : 制限
(注5) そうせばざるをえない : そうするしかない
(注6) ゆとり : 余裕

(60)大学の講著について、擬者の考えに合うのはどれか。

(61)こうした「講義からはみだす時間」とは、講義時間外に何をする時間か。

(62)筆者の言いたいことは何か。

中文
(2)
 以下は、ある作家が書いた文章である。
 人に対して好き嫌いの感情を持つことは誰にもあることだ。それを否定することはない。だが、好きな人とばかりつきあってビジネス生活を送ることははっきり言って不可能なのである。
 分析してみると、好きな人とはつまり話が合う人で、自分と考え方が似ているケースが多い。そして、嫌いな人とは考え方が合わない人がほとんど。
 嫌い、もしくは(注1)考え方が合わない人は、自分とは違う発想をしているわけで、じっくり話を聞いてみると、面白い見方、魅力ある発見を教えてくれることがある。
 私自身、取材をしていて、最初は「感じ悪いな、こいつは」と思った人物が話をしていくうちに、「なるほど」といった情報を教えてくれたことがある。そうすると、取材が終わったころには、「この人はいい人だ」と判断を変えてしまうのだから、人間の好悪の感情なんて実にいい加減なものだ。
 初めての人に会ったときは好き嫌いの感情を抜きにすること。素直に入を見て、話を聞いて、そして、面白い話を聞くことができたら相手に共感する(注2)。そうすると人は謙虚になっていく。なんといっても仕事に役立つヒントをもらったわけだから、相手を尊敬するようになる。それが続くうちに人は出会った相手を尊重し、関係を大切にする人間に変わっていく。そういった人間になってしまえば、他人からも信頼されるし親しまれるだろう。
(注1) もしくは : または
(注2) ~に共感する : ~と同じように感じる

(63)嫌いな人と話すことについて、筆者はどのように述べているか。

(64)筆者が取材の体験を通してわかったことは何か。

(65)筆者の言いたいことは何か。

中文
 (3)
 「鉛筆でかいたのになぜ消えないの。」
 小学校の写生大会で、画用紙に鉛筆で下書きをし、水性絵の具で色をぬった後、下書きを消しゴムで消そうとしたのに消えなかったときに思ったことだ。不因識だと思うと同時に、絵が思ったように仕上げられず①がっかりした
 この疑問に対する答えを、最近、あるホームページで見付けた。そのベージには、まず普通の鉛筆は消しゴムで消せるのに、なぜ色鉛筆は消せないのかという説明が書いてあった。
 その脱明によると、それは普通の鉛筆と色鉛筆の芯の材料が異なっているためだそうだ。鉛筆は黒鉛と粘土から、色鉛筆は顔料とロウ(油分)からできている。黒鉛と顔料は、色の元になるものである。紙に書かれた文字の状態をそれぞれ簡単に説明すると、前者は細かくくだかれた黒鉛が紙の表面にくっついている状態であり、後者は顔料が紙の中に油とともにしみ込んでいる状態だそうだ。したがって、表面にくっついているだけの黒鉛は、消しゴムでこすることで、紙から引き離すことができる。一方、しみ込んだ顔料は引き離すことができない。
 そして最後に、鉛筆の下書きが水性絵の具で色をぬった後に消せない理由が説明されていた。 鉛筆の下書きが消せないのは、水性絵の具を溶かすのに使う水のせいだそうだ。ごの水が、色鉛筆の芯の油分と同じ役割を果たすという。水も油も紙にしみ込みやすいのだ。

(66)①がっかりしたしたとあるが、なせぜか。

(67)普通の鉛筆で書いた文字を消しゴムで消すとは、どうすることか。

(68)水性絵の具で色をぬった後に、鉛筆の下書きが消せないのはなぜか。

統合理解
A
 子どもを育てるときは、悪いところをしかるのではなく、よいところをほめるほうがいいと思います。子どもはすなおですから、ほめられたことをそのまま受け入れ、行動や態度に自信を持つことができます。そしてそれが成長につながっていくのです。
 ただし、ほめるときにも注意が必要です。「いい成績をとって、偉いね。」と結果だけをほめるのは好ましくありません。そうではなく、「毎日漠字の練習をしてがんばったから、いい成績がとれたんだね。すごいね。」とか「今日の試合は負けてしまったけど、いいプレーをしていたね。練習の成果が見られたよ。」というように、それまでの取り組みをほめるようにすると、子どものやる気を引き出すことができます。


B  よく「子どもはほめて育てよう」と言われるが、実行するのはなかなか難しい。特別なことができたらほめようと思っていると、どうしてもほめる機会が少なおくなってしまう。それに、大人にとってはできるのが当たり前だということでも、成長過程にある子どもにとってはそうではないことも多い。だから、子どもが普段からしていることでも、よいと思ったことや長所はどんどんほめるようにしたほうがいい。
 誰でもほめられるとうれしいし、ほめられたことは続けていこうと思うものだ。親として伸ばしてあげたいと思うことは、どんな小さいことでも積極的にほめることが大切だ。

(69) 子どものほめ方について、AとBはどのように述べているか

(70)AとBは、ほめることで子どもはどのようになると述べているか。

長文
 美味しい食べ物や美しい景色。お金や健康や愛。そういったものでは得られない持続的幸せ一ー。それを得るための必要条件は、「困難」です。困難のないところに、持続的幸せはないのです。
 困難というものがまったくなかったらどうなるか、ちょっと想像してみて下さい。欲しいものは何でも手に入る。したいことは何でもできる。すべての欲求が何の苦もなく満たされる。嫌なことは一切(注1)しなくていい。すべてが思い通り。そして、あらゆることが順調にいく。だから、「困ったな、どうしたらいいだろう?」と思うことなど、皆無。つまり、問題はまったく起こらない……
 「わ、いいな。そうなりたい」と思う人もいるかもしれません。
 確かに、短期間ならこういう境遇(注2)もわるくないかもしれません。しかし、来る日も来る日も(注3)そうだったとしたら?まちがいなく、退屈するようになるでしょう。そして、やがて耐えられなくなるはずです。
 なぜなら、そこには自分の能力を発揮する機会がまったくないからです。自分の能力を発揮すべきことが、何も起こらないのです。これほどつまらないことはない。それが毎日続いたら、まちがいなく退屈し、耐えられなくなるでしょう。
 そう、私たちが能力を発揮できるのは、困難(問題)に出会ったときです。そのときはじめて、能力を発揮する機会が与えられる。
 そして、自分の能力で困難を乗り越えることができたとき、面白さやよろこびを感じるのです。それは、何かからただ受動的(注4)に得られる面白さ・よろこびとは異なり、自分のカで獲かく得とくする面白さ・よろこびです。また、それは、「やった一」という達成感と、さらに、「自分にはやればできる力があるんだ」という同覚一ー「自己効力感」ーーをともなった面白さ・よろこびです。
 これが積み重なって、生の充実感と持続的幸はがもたらされる(注5)
 持続的幸せは、困難にぶつかりながら、自分の能力で何とかそれを乗り越えようと努力しながら生きていくことによって得られるものなのです。つまり、持続的幸せが得られるかどうかは、生き方の問題なのです。
(注1)一切:まったく
(注2)境遇:状況
(注3)来る日も来る日も:ここでは、この先ずっと
(注4)受動的に:ここでは、自分から何もしないで
(注5)もたらされる:得られる

(71)困難がまったくない状態について、筆者はどう述べているか。

(72)筆者は困難をどのようにとらえているか。

(73)筆者によると、持続的幸せを得るにはどうすればいいか。

情報検索

(74)サラさんは、通学型研修で「ビジネスマナー」について学ぶように上司から指示された。「ビジネスマナー」が学べて、受講料が4万円以下なら、自由にコースを選んでいいと言われたので、できるだけ多くの内容を含むものを受けるつもりだ。行ける曜日は、金曜日でもやる。サラさんの条件に最も合うコースはどれか。

(75)田中さんは、新入社員のための社内研修を企画中で、JBセンターの講師出張型研修を利用しようと思っている。申し込みに関して気をつけなければならないことは、次のうちどれか。