短文
(1)
 昔話というのは、最初はほんの少数の人が聞き、そのなかの一人か二人がおぼえて、次の世代の人に話し、そして次へと語られてきました。同じ話でも変わってくるのが当たり前です。聞き手の反応によって、面白いところがくわしく語られ、 退屈な部分は省かれ、物語としての形がととのってきます。だから面白いはずです。でも、教訓(注)やお説教をつけ加え、つまらなくしてしまう場合もあるようです。

(中川李木支子 『絵本と私」 による)



(注)教訓:道徳的な教え

(55)筆者によると、昔話が面白いのはなぜか。

短文
(2)
 以下は、ある図書館に届いたメ一ルである。
 村中市立南図書館ご担当者様
 自習室をいつも利用している者ですが、 お願いがあってメ一ルしました。
 最近、 大声で話しながら作業をしているグル一プが増えており、 自分の調べものに集中できず困っています。図書館の資料を利用して調べものをしているようなので、注意することもできません。グル一プ用の自習室を別に作るなどの対処をしていただくことはできないでしょうか。 ご検討どうぞよろしくお願いいたします。

鉛木正子


(56)このメ一ルを書いた人は、 自習室のどのような問題を指摘しているか。

短文
(3)
以下は、 ある会社で回覧された文書である。
20ー7 年 6 月 ー2 日
社員各位
会計課長

 三村株式会社製「はさみ SB-A」の回収・交換にっいて
三村株式会社より、「はさみ SB-A」に欠陥が発見されたため全製品を回収し、交換を行うとの発表がありました。
 会計課で調べたところ購入記録がありましたので、三村株式会社に交換を依頼します。つきましては、各課で「はさみ SB-A」をまとめて会計課までお持ちください。
 6月22日(木)に発送を予定しているため、必ず6月 21日(水)までにお持ちください。
 ご協力よろしくお願いいたします。

以上

(57)「はさみ SB-A」について、各課はどうするように言われているか。

短文
(4)
 笑顔がこころと体の健康に大事な役割を果たしていることが、多くの研究からわかってきている。笑顔はこころの健康指標(注)になる。笑顔が出るのは、それだけ幸せだと感じているからだ。
 一方、笑顔になると幸せだという気持ちがわいてくるということもわかっている。同じ漫画を、意図的に笑顔を作って読んだときと、厳しい顔をして読んだときとでは、笑顔で読んだときの方が面白いという評価が高くなる。つまり笑顔になると、入ってくる情報がプラスの方面に偏るのだ。

(大聖子裕日本経済新聞2015年4月3日付夕刊による)


(注)健康指標:健康の程度を示すもの

(58)笑顔について、筆者はどのように述べているか。

短文
(5)
そもそも働くとは「得る」ことなのでしょうか。
私たちは働くとき、何らかの社会的役割を担って(注1)いて、その役割に応じた結果が求められます。そして、期待に応えたときに得られるものが報酬(注2)や自身の成長です。要するに、私たちは働くとき「得る」前に求められているものを「与える」ことになります。仕事の本質(注3)は得ることではなく、自分に求められているものを人に与える、すなわち「人の役に立つ」ことなのです。
(山藤賢『社会人になるということ』による)
(注1)担う:持つ
(注2)報酬:ここでは、給料
(注3)本質:本来の性質

(59)筆者によると、働くとはどういうことか。

中文
 以下は、小中学校での法教育について書かれた文章である。
 すべての法律を小さいころから学習していくことは不可能なことですが、法的な考え方(リーガルマインド)を身につけることで、自分で考え・調べ、自分で解決する能力は格段(注1)に高まります。
法教育というとどうしても、「法律を教える」と考えがちですが、それだけが法教育ではないのは、言うまでもありません(注2)。クラスのみんなで、クラスの問題点を洗い出し、どうすれば解決できるのか.そしてそれを解決するため、また、再発させないためにはどのようなルールが必要か、ということを話し合い、みんなで民主的に(注3)ルールを作っていくこともまさに①法教育の一つの姿です。
 さまざまなルール(法)は民主的に作られ、約束事(契約)は当事者(注4)の合意(注5)により締結される(注6)といった、法の基本的なところを身をもって体験することができます.
 また、新聞を多用し、時事的なニュースを使った法教育も効果があります。憲法改正、選挙の問題、消費者問題などは、それだけを教えようとするとつまらないものですが、新聞などを使った旬の(注7)話になると、子供たちの興味も惹きやすくなります。自分自身のことと考えることができるかどうかは、理解のスピードに大きな差を生みますが、具体的な「今」問題となっている事例は、その点、すぐれた教材となります.

(にへいひろし(二瓶裕史)『これだけは知づておきたい人生に必要な法律』による)


(注1)格段に:非常に
(注2)言うまでもない:当然だ
(注3)民主的に:ここでは、了解し合って
(注4)当事者:直接関係している人
(注5)合意:意思が一致すること
(注6)締結される:ここでは、成立する

(60)①法教育の一つの姿として、本文挙げられている例はどれか。

(61)筆者によると、新聞を使うといいのはなぜか。

(62)小さいころから法教育をすることの利点について、筆者はどのように述べているか。

中文
(2)
以下は、読書の利点について書かれた文重である。
外の世界に触れずにいると、人はそれまで与えられてきたひとつの価値観を持ち、そこから脱出しようとしないことが多い。固定した価値観を持ってしまう。少なくとも、自分の狭い体験のみによって価値観を築いていく。
だが、読書をして教養を身につけることで、自分という一人の人間の経験や考えを中心にしながらも、それを絶対(注1)視せず、ものごとを相対化(注2)しつつ考えることが可能になる。
 確かに、初めのうち、新たに本を読むたびに新しい価値観に触れ、自分の価値観がぐらついてくることがあるだろう。読んだ本のすべてに感心し、自分の考えが暖昧になってくるわけだ。あれこれと知識が増えてしまって、何を信じればよいのかわからなくなってくる。
 だが、多くの本を読むうち、そのような時期は過ぎていく。だんだんと特定の本に感化(注3))されるようになってくる。そして、それに対立する本に反発を感じるようになってくる。すなわち、だんだんと自分の考えが明確になっていく。
 そうなると、本を読む前の固定的な価値観とは異なってくる。狭い自分の体験だけから判断するのではなく、反対意見も踏まえ(注4)、別の考え方も知ったうえで自分の考えが明確にできるようになってくる。

(樋口裕一『「教養」を最強の武器にする読書術』による)


(注1)絶対視する:ここでは、疑いのないものとして考える
(注2)相対化しつつ考える:他のものとの関係の中で考える 里
(注3)感化される:ここでは、景獲を受ける
(注4)踏まえる:ここでは、考える

(63)人は外の世界に触れずにいるとどうなると筆者は述べているか。

(64)そのような時期とはどのような時期か。

(65)読書の利点について、筆者はどのように考えているか。

中文
(3)
人間はみんな「自分はこのような人間だ」というイメージを持っています.これを自己イメージといいます.ある人に会った人は、その人のイメージを持ちます.これを他者イメージといいます.継続的な人間関係があると、相手のイメージが固定してきます.自己イメージと他者からの自分に対するイメージに議離(注1)が大きいと、人間関僚に障害が生じます.自分は無口だと思っているのに、他人からはおしゃべりだと思われ
ていたら、そこには誤解が生じているので、誤解した(された)人間関係が生まれるのです.
 「自分は他人から誤解されやすい人間だ」と感じる人は、自己イメージと他者からのイメージに事離があるのです.誤解はどうして生じるかというと、自分の方lま自分の心の持ち方で判断しているのに対して、他者はその人の行動から判断しているからです(中略)他人のことは、タ卜から見えることでしか判断できませんが、自分のことは、見えること(行動)と見えないこと(心の内)とによって、判断しているのです。誤解されやすいと感じている人は、だから、自分の行動と患いに家離があるのです.思いをそのまま行動に移せていないのです。ときには、思いと反対の行動をしていることさえあるのです.
 思いが行動に移せていないときは、誤解されるだけでなく、ストレスが溜まります。ストレスは思いが伝わらなかったり、発散(注1)できなかったりするときに生じるのです.自己イメージと他者からのイメージの茶離を解消するには、自分の心に一致した行動を取るか、行動の方を自分がしたいからそうしているのだと認めることです.

(東山紘久『悩みの ントロール術』による) 


(注1)議離:離れていること
(注2)発散:タトへ出すこと

(66)自己イメージと他者からのイメージについて、筆者の考えに合うものはどれか。

(67)筆者によると、他人から誤解されるのはなぜか。

(68)筆者の考えに合うものはどれか。

統合理解
A
 かつては、演劇の公演は集で鑑賞することが一般的だったが、最近は、自宅で公演のピデオやDVDを鐙貸する人が繕えている。これらの映像は、何台ものカメラを使い、出演者の表情を近くから映したりステージ全体をとらえたりしているので、会話言に行かなくても十分に楽しめるというのだ。
 しかし、主主の公演を鑑賞することの良さの一つに、自分の視点で楽しめるということがある。ビデオやDVDの映像は他人の視点で切り取られたものなので、自分が本当に見たい部分だとは限らない。私はやはり隼で、好きな出演者の姿を追い続けるなど自由に鐙貧するのが蘭白いと恩う。

B
 先日、劇場で演劇を鑑賞する機会があった。久しぶりに生で鑑賞して、会場でしか得られないものがあると気づいた。それは出演者と観客との一体感から生まれる感動だ。出演者の家晴らしい渓伎を男て、観客が泣いたり笑ったりする。観客が出演者に声援を送ることもある。このように会場が一つになったときの慾軍創立、その爆にいる人にしか得られない特別な感動だろう。
 最近は、多くの公演がインターネットやDVDなどで自宅でも鑑賞できるようになった。自宅で鑑賞するほうが楽だと言って、生の公演を鑑賞しない人柑増えている。しかし自宅での鑑賞では、演技の素晴らしさは分かつても、会場の一体感{ま感じられない。私はあの感動を味わうため、またぜひ生の公演を鑑賞したいと思う。

(69)最近の演劇の鑑賞のしかたについて、AとBで共通して述べられている変化は何か。

(70)生で演劇を鑑賞することの良さについて、AとBはどのように述べているか。

長文
 人生はいつも肢になぞらえられる(注1)
 人は人生という脹路を、地図もなく歩いている。誰(注2)しもそうだし、それが人間としては自然な姿である。人生に地図などあるわけがない。なのに人は、人生の地図をもとうとするのが常だ。暗闇の中を歩くのが不安で仕様がないのだ。迷ってしまった時の恐怖を想像したくないからだ。
 そして自分の地図には、人生の設計図としてわがままな道程(注3)が記されている。三十歳までには結婚し、三十五歳頃には二人の子どもをもつ。四十歳には課長になり、五十歳までには何とか部長に昇進(注4)する。
 (中略)
 人生の地図に描かれた道を、その通りに歩むことができるなら、そんなに楽なことはない。一度も脇道にそれずに、ただまっすぐに歩くことができるのなら、人は何も悩まなくても済むだろう。そんな人生を送る人聞は、おそらくこの世に一人もいない。もしそういう人聞がいるのだとしたら、それはその人間の人生ではない。その人生は他人から与えられたものに過ぎない。
 五十歳の時には部長になっている。これは今という現在地から見た目標であろう。目標をもつことはもちろん大切なことだ。しかし、その目標へ辿り着く道は決して一本ではない。五十歳という現在地に立った時、もし部長になっていなければどうするのか.一枚の地図しか持っていない人、あるいは決して地図を書き変えようとしない人は、そこで人生の現在地を見失って(注5)しまうだろう。「今、自分はこの場所にいるはずなのに、全く違う所に来てしまった」と、そんな思いにとらわれ(注6)てしまい、行くべき道も見失ってしまうのである。
 地図をもたない人生が不安であるならば、地図をもてばいいだけのことだ。しかし、その一枚の地図にこだわってはならない。常に現在地を確認しながら、どんどん地図を書き変えていくことだ。少し脇道に入ってしまったのなら、その脇道を歩いてみればいい。無理をして元の道に戻ろうとしても、余計に迷うだけだ。協道を歩いているうちに、心つの間にか元の道に戻ることもあるだろうし、また別の大通りに出会うこともあるだろう。人生には数え切れないほどの道があることを知っておいたほうがいい。今いる場所さえしっかりと認識(注7)できていれば、人はどんな道だって歩いていくことができるものだ。

(立松平和『人生の現在地ーーまだまだ迷っているぞ、私は。』による)


(注1)なぞらえられる:たとえられる
(注2)誰しも:誰でも
(注3)道程:ここでは、道
(注4)昇進する:出世する
(注5)~を見失う:~がわからなくなる
(注6)とらわれる:縛られる
(注7)認識できる:わかる

(71)筆者によると、なぜ人は人生の地図をもとうとするのか。

(72)その人生とは、どのような人生か。

(73)この文章で筆者が最も吉いたいことは何か。

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(74)高校生のエミリさんは公開講座を受けてみようと考えている。7月25日から8月30日の間に行われる経済学部が実施する講座で、会場が影山キャンパスのものがいい。エミ リさんに合うのはどの講座か。

(75)会社員のパコさんは二つの講座に申し込みたいと思っている。申し込みは、直接事務所窓口に行くつもりだ。パコさんが提出しなければならないものは何か。