短文
(1)
 論理的に書かれている文章を読んでいくときには、書かれた文章を自分が理解できたかどうかということにとどまらず、書かれている主張や根拠(注1)が本当に妥当だろうか、論理的に筋が通っている(注2)だろうか、別の考え方はないだろうかと考えて読むことが、とても大切です。こうして読むことによって、書かれている内容についての理解を深め、見方を広げることができます。これは批判的読みとよばれるものです。
 

(秋田喜代美『読む心・書く心ー文章の心理学入門』による)


 (注1) 根拠: ある考えのもとになるもの
 (注2) 筋が通っている:矛盾がない

(55)こうして読むとは、どのように読むことか。

短文
(2)
以下は、ある市役所のホームページに掲載されたお知らせである。

2012年6月24日
環境課


市民水質調査デ一のお知らせ


 安井市では、毎年、美安川の水質調査を行っております。
 今年は、島の回りの環境への理解を深めていただくため、市民の皆様にもご参加いただきたいと考えております。

 日時:2012年7月28日(土) 時集台、11時解散 ※雨天中止
 集合場所:安井市市民センター前
 募集人数:20名

 当日は、市の調査員とともに美安川の数か所を回り、調査を行います。
調査結果は、後日ホームページ上で公開いたします。ホームページには、調査にご参加くださった皆様の感想なども掲載させていただく予定です。
参加申し込みは、7月1日より電話またはホームページ上で受け付けます。

(56) このお知らせで最も伝えたいことは何か。

短文
(3)
以下は、ある会社の社内文書である。

平成24年10月1日


社員各位

総務課長


資料室からのお願い


 資料室が開設されて半年が経ち、多くの方に利用されるようになりました。しかし、利用者が増えるにつれ、昼食時には本来の目的以外で席を利用している、私語が多く迷惑になっているなどといった、様々な苦情が総務課に寄せられています。
 社員皆が気持ちよく利用できるようご協力をお願いします。

(57) この文書を書いた、一番の目的は何か。

短文
(4)
 本来、異なる種類の光源(たとえば太陽光と蛍光灯)のもとでは、同じイチゴでも異なる色の見え方をする「はずです。ところが、私たちはふだん生活している中で、つまり太陽の光のもとで見たとき、イチゴがどんな色をしているのかを知っています。そのため、光源の色や明るさが太陽の色とは変わっても、その変化した照明のもとで見るイチゴの色を、すでに知っているイチゴの色に近づけて知覚(注) してしまう、といったことが起こります。これを色の恒常性といいますが、意識することなく行われている、 視覚のみごとな仕組みのひとつです。
 

(近江源太郎監修 『色の名前』 による)


 (注) 知覚する:感じ取る

(58) すでに知っているイチゴの色とあるが、ここではどのような色か。

短文
(5)
他人にわかるようにおしえることは、実は大変むずかしい。自分がよくわかっていないと相手にわからせることはできないからだ。「何かを学ぶもっともよい方法は、それをおしえてみることだ」。こういった人がいるが、まさに至言(注)だろう。とすれば、一見理解したようでいて実はまだあいまいさがのこっている一ーこんなときには、他人におしえようとすることにより、逆に、自分の知識の不完全さに気づかせ、よく自分で考えなおしてみることを動機づけることになるだろう。これは、知識を安定したものにするのに役立つ。

 (波多野謹余夫・稲垣佳世子 『知的好奇心』 による)


 (注) 至言だろう:ここでは、その通りだろう

(59) この文章で筆者の言いたいことは何か。

中文
(1)
  従来(注1)の会議では、一番地位の高い人が自動的に司会ないし(注2)議長の役もする傾向があった。
  【中略)
 「いい会議」をもつためには十分な準備が必要である。トップにそんな時間があるはずはない。したがって、自分で準備をして会議を運営するよりも、他の人に任せる選択をすべきである。トップは、あまりたくさんのことをやりすぎてはいけない。全部をやろうとすることは、すべてがうまく運べないことにつながりかねないから。しかし、自分が一番情報をもっている場合が多いので、最初の段階で他の出席者に必要な情報を伝える義務はある。また、決定されたことを受け入れるためには、自分も積極的に参加して言うべきことは言っておく必要がある。トップの姿勢次第で、他の出席者は積極的に参加することもあれば、本音(注3)を言えずにただそこに座って居るだけで、かつ(注4)不満を心の中にしまい込んでおく参加の仕方になってしまう場合もある。その意味でトップがどのように参加するかは、会議の成否(注5)を決める決定的な(注6)要因の一つである。
 あとは、進行役に任せることが大切で、基本的には、トップの存在感が薄いほど他の出席者は積極的に参加する。その方が普段は聞けないたくさんの意見やアイデイアを聞くチャンスを得られることにもなるし、会議に参加して本当によかったと誰もが思えるようになるのである。

(吉田新一郎『会議の技法』による)


 (注1) 従来:今まで
 (注2) ないし : または (注3) 本音:本当に思っていること
 (注4) かつ :そのうえ
 (注5) 成否:うまくいくかいかないか
 (注6) 決定的な:ここでは、重要な

(60) 一番地位の高い人が会議で議長役をすることについて、筆者はどのように考えているか。

(61) 会議中にトップがしなければならないことは何か。

(62) トップ以外の会議の出席者が本当によかったと思えるのは、どのようなときか。

中文
(2)
 1959年は板ガラス製造において記念すべき年である。この年、ある画期的(注1)な板ガラス製造法の実用化に成功した。この製造法の発明から実用化までは、苦難の道であり7年の年月がかかったが、この方法によって、表面に輝きがあり、平らでゆがみのない(注2)板ガラスを連続的に低コストで作る ことができるようになったのである。
 ガラスが窓に使われ始めたのは今から2,000年以上前のことで、初期の板ガラスは、分厚く、泡を多く含み、表面に傷がたくさんある粗末な品質のものだった。4世紀ごろになると、表面に輝きがある薄い板ガラスの製造法が発明されたが、作れる板ガラスの大きさには限りがあった。その後、より大きな板ガラスの製造法も発明されたが、この製造法においてもゆがみをなくすことはできなかった。それだけでなく①後戻りをしてしまった点もある。溶かしたガラスを手作業で平らにしたため、表面に輝きがなかったのである。磨くことで輝きを出すことは可能だったが、特別な技術が必要で、手間も費用もかかった。
 このように、板ガラスの歴史を通じて多くの製造法が発明されたが、いずれもどこかに問題点を抱えていた。それらが一気に解決され、高品質の板ガラスを大量生産することが可能になったのが1959年なのである。1960年代の日本は自動車の普及が進み、同時に安全性の向上が求められていた時期である。②この成功があって初めて、これらの需要にこたえることが可能だったと言えるだろう
 (注1) 画期的:今までと大きく異なる、新しい
 (注2) ゆがみのない:ここでは、凸凹のない

(63) ①後戻りをしてしまった点とあるが、それはどんな点か

(64) ②この成功は何を指すか。

(65) 1959年を記念すべき年と、筆者が述べているのはなぜか。

中文
(3)
 数年前、家を引っ越した。50年住み慣れた小さな家だったが、いざ引っ越しとなると、使っていない道具がごろごろ出てきて、あらためてものの多さにびっくりした。道具にしろ、本にしろずいぶん多量に所有していて、これを使いこなし(注1)、読みつくす(注2)には多量の時間がかかる。あと何年生きられるだろうと人生を逆算してみて、①この物量はムダだなあアと引っ越しのトラックの助手席で考えた。  私は世間の人よりはものの所有欲が強いとは思っていない。むしろものをもたないほうと思っているが、それでもものが多過ぎるのである。
 昔、「預かりものの思想」と言った人がいる。人はぼつんと生まれて、ぶつんと消えていく。家や土地、道具にしても、いくら自分の所有だとカんでみても、死んでしまえばもっていけない。いずれは世の中に返していかなければならない。このわずかな人生の時間の中で、②それを楽しむしかないのだ。空気や水と同じように、土地も家も道具も、あらゆる諸物は世の中から預かって、生きている間だけ借りているのだ、という考えだった。
 たしかに、私たちはものへの所有欲が強い。車をもつ、家をもつ、高級ブランド品をもつ、携帯電話をもつ、コンピューターをもつ、所有することで満足感を得ている。しかし、所有欲をふくらませるには、どこかで限界があるだろう。「預かりものの思想」は、そういう物欲にかられる(注3)私たちに冷水をかける思想だった。

 (野外活動研究会 『目からウロコの日常物観察ーー無用物から転用物まで』 による)


 (注1) 使いこなす:ここでは、すべて使う
 (注2) リみっくす。すべて機む。
 (注3) 物欲にかられる:物欲を抑えられなくなる

(66) ①この物量はムダだなあとあるが、筆者はなぜそう考えたのか。

(67) ②それとは何を指すか。

(68) 「預かりものの思想」では、ものをどのように考えているか。

統合理解
A

旅は非日常の世界へ入っていくことであり、目的地をどこにするかが重視される ことが多い。しかし、私はむしろ目的地に着くまでの過程を大切にしたいと思って いる。その過程には思わぬ発見や驚きがあるだろうし、計画していなかった出来事 に出会えるかもしれない。少し予定を変えて寄り道をすることによって、自分が想 像していた以上の素晴らしい旅になる可能性が出てくる。たとえ目的地での滞在時 間が削られても、そこに行くまでに出会う偶然を大切にすることが、旅全体を楽し くすることになると思う。

B

交通機関が発達することで、人々の移動できる範囲は確実に広がっている。移動 にかかる時間も、ひと昔前とは比較できないほど短縮されている。移動にかかる時 間が短くなった分、目的地にゆっくり滞在できるようになったのは幸いである。旅 の楽しみは、ぶたんとは違う何かを見付けることであるから、目的地に少しでも長 くいることができるようにしたいものだ。そうすることで、日々のあわただしい生 活を忘れて、再び日常に戻るときのためのエネルギーを充電することができる。

(69)AとBのどちらの文章にも触れられている内容はどれか。

(70)AとBがそれぞれ旅をするときに最も重視していることは何か。

長文
 自分の能力や適性と、実際に就いている職業や希望する職業、あるいは生き方が必要とする能力や適性 との間のギャップに悩むというのは、①よくあることです。むしろピッタリー致しているとか、能力・ 適性が十分あるとかいうケースのほうが稀でしょう。 
 もともと能力とか適性というのは、とてもつかみどころのないものであり、また経験によりたえず引き出されたり磨かれたりしていくものです。運動面の能力や適性は比較的はっきり表面にあらわれるし、素質の影響が強いと思われますが、知的側面や社会的側面の能力や適性は自分自身でもなかなかわから ないし、また経験によって伸びていく可能性も十分あります。 
 実は、能力や適性がないという自分観も、努力する一歩を踏み出すことのできない②自分に対する言い 訳として用いられている面があります。仕事がうまくいかない人が自分にはどうもこの仕事の 適性がな いと嘆いたり、今の仕事が向いてないと言いつつ転職への覚悟ができない人が、自分には能力がないからどんな仕事に替わってもどうせダメなんだと自朝(注1)気味に言ったりするのをよく耳にします。 このような言い方も、今ひとつ頑張りきれない自分や、思いきって仕事を替えてみる勇気のない自分に 対する弁解 (注2) だったりするのです。 自分は能力がない、適性がない(注2)自分には無理だなどと装縮(注3)している人は、それは勝手な思い 込みにすぎないのではないか、意欲や行動力の乏しさに対する弁解にすぎないのではないか、と自らに 問いかけてみるべきでしょう。能力や適性というのは、昨日までなかったのに、気持ちを入れ替えたか らといって突然高まるなどということは考えにくいものです。しかし、意欲や行動力なら、気持ちを入 れ替えることで突然高まるということは十分ありえることです。 
 ゆえに(注4)、自分自身の不遇(注5)な職場生活や充実感の乏しい仕事内容の原因が、能力や適性の 不足でなく意欲や行動力の不足であることが明らかになれば、「どうせ自分には無理だ」といった後ろ向 きの姿勢から、「やるだけやってみるか」といった前向きの姿勢に転じることもできるはずです。 

 (模本博明『社会人のための「本当の自分」づくり』による) 


(注1) 自嗜: 自分をつまらない、だめな人間だと思うこと 
(注2) 弁解:言い訳 
(注3) 菱縮している:自信をなくして消極的になっている 
(注4) ゆえに:だから
(注5) 不遇な:恵まれない

(71)①よくあることあるが、どういうことがあるのか。

(72) ②自分に対する言い訳の例として、最も近いものはどれか。

(73)筆者がこの文章で言いたいことは何か。

情報検索

(74)ジョージさんはこの冷蔵庫を使っているが、最近、中の食品があまり冷えない。ジョージさんが確認する必要がないことはどれか。

(75)この冷蔵庫の使用中にすぐに使うのをやめて販売店などに故障かどうか調べてもらったほうがいいのは、次のうちのどれか。