短文
(1)マスコミで毎日のように環境問題が取り上げられているが、本当に「環境問題」と言っていいのだろうか。
 地球温暖化にしろ、森林破壊はかい)(注)にしろ、エネルギー資源の不足にしろ、これらはどれも人類によって起こされた問題である。しかし、このような問題を環境問題と呼ぶことで、人は無意識のうちにその問題から目をそらしているのではないか。むしろ「人間問題」と呼ぶことで自分の問題としてとらえることになり、未来の環境を変えることができるのではないだろうか。
(注)森林は破かい壊:森林がこわ壊されて少なくなったりなくなったりすること

(55)筆者は、なぜ環境問題を「人間問題」と呼んだほうがよいと考えているか。

短文
(2)以下は、ある会社が出したメールの内容である。

お客様各位
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(注)購入する:買う

(56)この会社の割引サービスについて正しいものはどれか。

短文
(3)恐れてはいけないとか、不安を持ってはいけないとか言われることがあるかもしれない。しかし、恐怖や不安は、車にたとえればブレーキである。車の安全にとって重要なのはアクセルではなく、ブレーキなのだ。アクセルをふかして(注1)スピードを出すことより、危険を)して(注2)ブレーキをかけて止まったり、スピードを落としたりすることで事故は防げる。その意味で、ブレーキのない車を走らせることはできないのだ。われわれ人間も恐怖や不安という名のブレーキを使って、自分たちの安全に役立てることが大切だ。

(広瀬弘忠『人はなぜ危険に近づくのか』による)

(注1)アクセルをふかす:アクセルを強くふ踏んでエンジンを速く回転させる
(注2)~をさっ察ち知する:~に気がつく

(57)筆者は、恐怖や不安をどうとらえているか。

短文
(4)人に強い影響えいきょう)を与えるのは大部だいぶ)(注1)からなる作品とは限りません何気なにげ)なく(注2)読んだ、たった一言に心打たれることもあります。そして、書物を越えて、私たちは世の中のあらゆるできごとについても同じように、そのときどきに応じた深度で読んでいるのです。つまり、読みとろうと思えばどんなできごとからでも「自分にとって意味あること」を読みとれるということではないでしょうか。学ぼうとする姿勢があれば何からでも価値あることが学びとれるのだとつくづく私は思うのです。

(村田夏子『読書の心理学—読書で開く心の世界への扉』による)

(注1)たい大ぶ部:書物の冊数やページ数が多いこと
(注2)なに何げ気なく:はっきりとした目的や理由を持たないで

(58)人に強い影響を与えるのはたいぶ大部からなる作品とは限りませんとあるが、なぜか。

短文
(5) ぼくはいつも思うのだが、資格しかく)にとらえたものをただ単にか描いても、決して絵画にはならない。し視かく覚のかなた(注1)にかくされているものをとらえて、それを画面に定着させたとき、はじめて絵画が誕生する。絵画とは目の前の自然を心のなかに消化し、それをもう一度は吐きだす作業によって生まれるのだ。そうすることによってはじめて普遍的ふへんてき)(注2))の世界が出現しゅつげん)するのだと思う。だから芸術というものは、理屈りくつ)(注3)では解決できないものなのだ。理屈をこ超えたところに本当のび美がある。

(石本正『絵をかくよろこび』による)

(注1)かなた:向こう
(注2)普遍的な:広くすべてのものに共通して見られる
(注3)理屈:論理的な説明

(59)筆者が考える絵画とはどのようなものか。

中文
(1)「日本の消費者は世界一、目が)えている(注1)」という言葉には2つの意味がある。第1は機能や味などへの要求水準が高いこと。第2には、わずかな傷も許さないなど見た目へのこだわりだ。
  消費者は後者のこだわりを捨てつつある。それでは消費者は嫌々「傷物」に目を向け、我慢がまん)して買っているのか。必ずしもそうではない。
 衣料品や家具などでは中古品市場や消費者同士の交換が盛んだ。再利用でごみが減り、環境にもいい。商品の傷も前の使用者のぬくもり<(注2)とプラスにとらえる感性かんせい)(注3)が若い人を中心に広がっている。
 規格きかく)(注4)外の農産物も似ている。ごみになるはずのものを安く使い、エコロジーと節約を両立りょうりつ)させることに、前向まえむ)きの価値を見いだしているのではないか。不ぞろいな野菜は、むしろ手作り品を思わせる長所。消費者の新たな価値観に、企業がようやく追いついてきた。
 市場が広がれば、粗悪そあく)(注5)や不良品が出回る可能性も高まる。なぜ安いのか。本来の価値はそこ)なわれていないか。企業の責任は重い。消費者にも「きび厳しい目」をきちんと持つことが求められる。

(日本経済新聞2009年8月27日付朝刊による)

(注1)目が肥えている:よい物を見慣れていて、物の価値がわかる
(注2)ぬくもり:あたたかい感じ
(注3)感性:感じ方
(注4)規格:基準
(注5)粗悪品:粗末そまつ)で質が悪いもの

(60) 以前と⽐べ、消費者はどのように変わったか。

(61) 筆者は、消費者の意識の変化をどのようにとらえているか。

(62)追いついてきたとあるが、企業がどうなってきたのか。

中文
 たとえば、「⾛る」ことは、⼀⾒単純で誰にでもできる運動ではあるが、「速く⾛る技術」となると、なかなか①⾝につけることが難しい。教えられたように⾛るフォームを改善することが簡単ではないからだ。
 誰でもできる運動なのに、なぜその改善が難しいのだろう。
 実は、普段慣れている動作ほど、その動作に対する神経⽀配はしっかりとできあがっているからだ。運動の技術やフォームを改善することは、その運動を⽀配する神経回路を組みかえることになるので、そう簡単にはいかない。
 コーチは、腕の振り、膝の運び⽅、上体の前傾の取り⽅など、フォームを矯正しようと指導し、指導を受けるランナーも指摘された体の動きの修正に意識を向けてトレーニングするのが普通である。しかし、動作の修正には多くの時間と繰り返しが必要であり、またその結果が上がらないことも多い。そして、トレーニングの効果が上がらない⼈は、「運動神経」が良くないということになる。
 ②この場合、運動技術の修正は、「運動の神経回路を修正する」ことであると考えることによって、解決の系⼝がみつかる。
 スポーツ技術や「⾝のこなし」の習得には、神経回路に直接的に刺激を与えるようなトレーニング上の⼯夫が必要である。
 ⼯夫をいろいろと重ねるうちに、「動作をイメージし、それを体感する」ことが、運動の神経回路を改善するのにきわめて有効であることがわかってきた。
(⼩林寛道「運動神経の科学―誰でも⾜は速くなる」講談社による
(注1) 神経回路︓ここでは、神経をつなぐ仕組み
(注2) 矯正する︓正しくなるように直す
(注3) ランナー︓⾛る⼈
(注4) 系⼝︓きっかけ
(注5) ⾝のこなし︓体の動かし⽅

(66)「速く⾛る技術」はなぜ①⾝につけることが難しいのか

(67)②この場合とはどんな場合か

(68)筆者によると、「速く⾛る技術」を⾝につけるにはどうすればよいか

中文
(2)
 私はどちらかと⾔えば根が楽天的だが、昔は営業の強烈なノルマ(注1)に苦しんだこともある。そういう⽇々の中から①いつしか⾝につけたことのひとつが「幸せ感のハードル(注2)を低くする」だった。
 たとえば、あと⼀歩のところで契約が結べなかった⽇、会社に戻ってしょげかえる(注3)代わりに「あの社⻑と⼀時間も話せるところまできた」と⾃分の成果を⾒つけて評価する。そうやって⼀⽇を締めくくれば(注4)、明⽇への活⼒も湧いてきた。
 仕事そのものも、「仕事は趣味や遊びとはちがう。仕事はお⾦をもらうのだから、楽しくないことがあっても当たり前」と思ってやってきた。②そこを基準にすれば、少々のことは当然のこととして受け⼊れられる、何かいいことがあったときは「お⾦をもらいながらこんな気持ちを味わえるなんて」と幸せ感も倍増する。
 どうせ⼈⽣の⼀定の時間を仕事に費やすのなら、その時間が楽しいと思えるほうがいいに決まっている。それに楽しいと思ってすることは、何かとスムーズに運び成果もあがるものだ。こうして好循環が⽣まれてくる。
 ⼈は楽しいから笑顔になるのだが、「まず笑顔をつくると、それによって楽しい気持ちが湧いてくる」という研究結果があるという。これにならえば、充実感を得られる仕事を⼿にするには、楽しめる仕事を探すのも⼤事だが、⼩さなことでも楽しめるようになることも意外にあるどれない(注5)ポイントだ。

(⾼堿幸司「上司につける薬︕-マネジメント⼊⾨」講談社による)


(注1)強烈なノルマ︓厳しい条件で課される仕事
(注2)ハードル︓ここでは、基準
(注3)しょげかえる︓ひどくがっかりする
(注4)締めくくる︓終える
(注5)あなどれない︓軽視できない

(63)①いつしか⾝につけたことのひとつの例として近いものはどれか

(64)②そことは何か

(65)この⽂章で筆者の⾔いたいことは何か

統合理解

 今⽇、多くの国々で、地球環境に配慮した(注)⾞が求められている。そのような中でガソリンではなく電気で⾛る⾃動⾞が登場したが、まだ値段も⾼く⻑距離を⾛ることも難しい。また、充電する場所も限られるために、電気⾃動⾞に乗る⼈はそれほど多くない。
 しかし、近い将来、それらの問題も技術の進歩によって解決され、やがてはより⾝近で⼀般的な乗り物になっていることが考えられる。また、電気⾃動⾞は構造が複雑ではないため、⼀⼈⽤または⼆⼈⽤の⼩型のものならば、個⼈で製造できる可能性もあるそうだ。数⼗年後には⼀⼈⼀台電気⾃動⾞を持ち、全国どこへでも⾏ける時代が訪れえうかもしれない。

B
 今や⾃動⾞は私たちの⽣活になくてはならないものになっているが、環境への意識が⾼まるにつれ、⾞に対する⼈々の考え⽅が変化してきている。その結果、電気⾃動⾞が⾛⾏時に⼆酸化炭素を出さず、騒⾳も少ないことから、環境に優しい⾞として注⽬を集め、徐々に利⽤者も増えている。また、カーシェアリングといって、⼀台の⾞を複数の⼈で使⽤するというシステムも整ってきている。このような傾向が続けば、個⼈で⾞を持つ必要性は薄れてくるだろう。⼗年後、⼆⼗年後はガソリン⾞が姿を消し、電気をエネルギーとする⾞を数⼈で⼀台利⽤している、そんな時代が来るかもしれない。
(注)〜に配慮する︓〜を⼤切に思っていろいろ考慮する

(69)AとBのどちらの⽂章にも触れられている点は何か

(70)AとBの筆者は、⾞社会の今後の可能性についてどのように考えているか

長文
 私は⾷べ物については好き嫌いが多いが、研究テーマや⼈間関係についてはあまり好き嫌いがない。ところが、いろいろな⼈と話をしていると、意外に好き嫌いがあるという⼈が多い。この研究は嫌いとか、この⼈は好きじゃないとかよく⽿にする。しかし、どんな研究にも得点を変えれば学ぶところは必ずあるし、⼈間も同様に、悪い⾯もあればいい⾯もある。やって損をするという研究は⾮常にまれであるし、つきあって損をするという⼈間も⾮常に少ない。
 科学者や技術者であるなら、発⾒につながるあらゆる可能性にアンテナを伸ばすべきで、そのためには、好き嫌いがあってはいけないき嫌いがあってはいけないように思う。研究の幅や、発⾒につながる可能性を⼤きく狭めて(注1)しまう。
 ところで、そもそも(注2)好き嫌いとは何だろうか︖
 ⾃分の研究分野は、理系であることには間違いない。しかし⾃分でも、理由があって理系の道を選んだとは思えない。単なる偶然の積み重なりの結果なのだ。
 「⾃分の好みや得⼿不得⼿(注3)で選んだ」とあとから⾔うのは、その偶然の選択に何らかの理由を与えないと、あとで悔やむことになるからだと思う。たとえば、理系の道を選んで思ったような成果を上げられなかったとき、「なぜ⽂系の道を選ばなかったのか」と思うような後悔である。違い過去にさかのぼっていちいち後悔していては、その時点の⽬の前の問題に⼒を注げず、前向きに⽣きていくことはできない。
 そう考えると、好き嫌いや感情というものは、偶然の積み重なりで進んでいく⼈⽣を⾃分なりに納得するためにあるようなものと⾔えるのではないか。好き嫌いや感情は、無意識のうちに、⾃分を守るために、⾃分を納得させるために、都合よく持つものなのだろう。
 感情や好き嫌いは元来(注4)⼈間に備わっているものであるというのは間違いないが、⼈間は、⼗分な理由がないまま⾏った⾃らの⾏動を、納得し、正当化する(注5)ためにも、感情や好き嫌いを⽤いる。⼈間は、他の動物にはない、そんな感情や好き嫌いの利⽤⽅法を⾝につけているのかもしれない。

(⽯⿊浩「ロボットとは何か⼀⼈の⼼を映す鏡」講談社による)


(注1)狭める︓狭くする
(注2)そもそも︓もともと
(注3)得⼿不得⼿︓得意不得意
(注4)元来︓初めから
(注5)正当化する︓ここでは、間違っていなかったと思う

(71)好き嫌いがあってはいけないと筆者が考えているのはなぜか

(72)筆者は、どうして理系に進んだにか

(73)筆者は、好き嫌いとは⼈間にとってどのようなものだと考えているか

情報検索

(74)チャンさんは来月帰国する際に、A社を利用して引越する予定である。荷物が10箱以上あるのでなるべく安い料金で送りたいが、そのうち帰国後すぐに使うものが入った5箱は料金が少し高くてもいいので早く着くように送りたい。チャンさんはどうしたらいいか。

(75)会社員の有田さんは3ヶ月後に海外支店に転勤することになった。一緒に行く家族外国での生活が初めてなので、日本語で対応してもらえて、なるべく楽なプランを利用したいと思っている。有田さんはA、B両社のどのプラン検討したらいいか。