ハチドリという鳥を知っているだろうか。鳥のうちでいちばん小さく、体長わずか3センチという昆虫のような種類さえある。小さな巣を作って、豆粒ぐらいの卵を産み、花の蜜を食物にしている。小さな翼をブーンを振わせ、飛びながら花の蜜を吸うハチドリを初めて見た人は、何か童話の世界にいるような気が するに違いない。
でも、この島はこの現実の世界に生きている。①
こんな小さな鳥が生きているということはそれ自体が不思議である。なぜなら、こんな小さな鳥は生きていられるはずがないからである。
鳥は我々同じく、温血動物つまり恒温動物である。体温は外気と関係なく一定に保たれている。それが保てなくなったら、人間が凍死するのと同じように死んでしまう。ところが、体がこんなに小さいと、体積にくらべて体の表面積が著しく大きくなる。つまり、体温を保つのに必要な熱を発生する体の大きさの割りに、熱が逃げて行く表面積が大き過ぎるのである。そこで、ハチドリが生きていくのに必要な体温を保つには、体の表面から逃げていく熱を絶えず補っていなくてはならない。そうでないと体温はたちまち下がってしまう。
ハチドリは熱帯にいるから、そんなことはないだろうと思う人もいるかもしれない。しかし、実際②
ハチドリの「経済状態」、つまり食べもの(収入)と体温維持のための熱発生(支出)の関係を調べてみると、入るそばから支出されて行き、何とか収支が合うようにできていることがわかる。収入が断たれたら、数時間のうちに倒産してしまう。つまり、食べるのをやめたら、たちまち熱発生も止まり、体温が降下して、凍死してしまうのである。
ハチドリも夜は木の枝にとまって眠らなければならない。毎日12時間近く食べずに過ごすわけである。本来なら、この間にエネルギーの蓄えが尽き、体温降下と凍死を招くはずである。にもかかわらずハチドリは、何万年もの間ちゃんと生きている。なぜか。
それは、彼らが毎晩冬眠するからである。熱帯の夜はけっして暑くない。気温は20度を割ることさえある。ハチドリは夜が来ると、温血動物であることをやめる。体温調節をやめて、爬虫類のような冷血動物になってしまうのだ。体温は一気に気温のレベルにまで下がる。呼吸もごくわずかになり、筋肉も動かなくなる。だから、夜、眠っているハチドリはかんたんに手で構えられるそうである。そして、朝が来て気温が上がると、ハチドリの体温も上がる。体温が一定の温度を越すと、ハチドリは目覚め、恒温動物となって、花の蜜を求め、飛び立つんである。
③
そんなわけで、この宝石のように美しいハチドリは、一年中長雨の降らない、昼は一年中気温が高くしかも夜はかなり冷える土地、主に中南米の一部にしか住めないことになる。もし、中南米の気候が変わって、雨が多くなるが、冬ができるか、夜も暑くなるかしたら、そのどの一つの変化によってもハチドリは滅びるだろう。その誕生とともに持って生まれた遺伝的仕組みと環境とが矛盾するからである。
(日高敏隆『人間についての寓話』平凡社による)