短文
(1)
先月、中国で珍しいチョウが採集された、という新聞記事が出た。チョウは昆虫の中では、人に好かれるものの代表で、「チョウよ花よ、とかわいがる」という言い方もあるくらいだから、珍チョウの発見が新聞紙上をにぎわせても不思議なわけではない。
これがゴキブリであれば、①こうはいかない。人に嫌われる代表のような昆虫であるゴキブリは、チョウよりもはるかに種類が少なく、したがって珍しいゴキブリが発見されればやはり事件となるであろうが、「珍ゴキブリ発見」という記事では、よほどうまく書かれていないと、採用されないに違いない。

(養老孟司『ヒトの見方』筑摩書房による)

(46) ①こうはいかないとあるが、どういうことか。

短文
(2)
 サッカーには全く不案内なのだが、いつも思うのは、サッカーファンがどうしてあそこまで熱狂的になれるのかということである。あの競技にはきっと魔力があるのだろう。そうでなければワールドカップの異常な盛り上がりは説明がつかない。日本にいるとよくわからないが、海外では観客同士の乱闘などが当たり前だと聞く。いわゆるフーリガンだけではなく、一般のファンが暴徒と化して死傷者まで出る、というのもめずらしくないらしい。そんなスポーツは他にない だろう。

(近田春夫『僕の読書感想文』国書刊行会による)

(47) 筆者の言いたいことは次のどれか。

短文
(3)
 人間は自然を人工化する。いかにも自然そのもののような錯覚を与えながら、人間は自然を巧妙に人工の風景に変えてゆく。それが、人間が豊かに暮らすための新しい自然環境なのだとすれば、それをとどめることはできまい。そうしていつの間にか、山も平野も人間の目的に従った人工の風景に変わってゆく。
 しかし、絶えず人工化しようとする人の手がかからなくなると、山も野も、すぐにもとの姿に返ってゆこうとする。まだまだ人間と自然の勝負は決まったわけではない。自然の(  )というものが、今でもひそかに働いているのである。
(多田富雄『独酌余滴』朝日新聞社による)

(48) (  )に入る最も適当な言葉はどれか。

短文
(4)
今のわたしの生活は豊かだ!
だが、そう言い切って何か落ち着かない気持ちになるのは何故か。生まれた時代と国が違えば、あるいは為政者の指導が悪ければ、今も戦禍のうちにあり、明日の食べ物を心配しなければならなかったかもしれない。そうなれば豊かさとは程違い暮らしを余儀なくされる。生まれた家庭についても同じことが言えるだろう。つまり、今のわたしの豊かさはわたし自身の努力で獲得したものではなく、①「下駄を他に預けた」豊かさなのである。

(49) ①「下駄を他に預けた」豊かさとはどんなことか。

中文
(1)
 人間の肉体は、①自然の環境変化に対しては、かなり高度の適応を示す。しかし、②人工的な環境変化に対しては、適応力が格段に落ちる。たとえば、鉄分は血液中のヘモグロビンの生成のために不可欠の物質である。鉄分の摂取が足りないと貧血になる。この鉄分が過剰に摂取されると、不必要な分は自動的に体外に排出されてしまう。人体の鉄分の吸収能力を調査してみると、個人によって、また、同一人物でも日によって、吸収能力が変化することが分かった。つまり、体内の鉄分の量が増加すれば吸収能力は減り、鉄分が減れば吸収能力が増すというシステムになっているのだ。
 もし、水銀やカドミウムについても、これと同じような過剰摂取に対する適応システムが人体に備わっていれば、これらの人体に有害な物質によって発生した水俣病やイタイイタイ病などの公害問題は起こらずに済んだだろう。
 なぜ、人間の肉体は、鉄分の過剰摂取に対しては自分を防衛することができても、水銀やカドミウムに対しては防衛できないのか?
 それは、鉄分がほとんどあらゆる食物に含まれていて、つねに人体に入ってくることが予想されているのに対して、水銀あカドミウムは、自然状態の人間には入ってくるはずがないものだからである。責められるべきなのは、( A )ではなく、( B )なのである。

(立花隆『文明の逆説』講談社による)

(50) ①自然の環境変化に対しては、かなり高度の適応を示す例として正しいものはどれか。

(51) ②人工的な環境変化に対しては、適応力が格段に落ちる例として正しいものはどれか。

(52) ( A )と( B )に入る最も適当な言葉はどれか。

中文
(2)
 結婚しない人が増えているというが、先日、ある調査で①独身男女の結婚観に開きがあることが分かった。
 一昔前までは、「男は外で働き、女は家を守る」という考えが男女ともに主流であったが、最近の男性は、結婚相手が自分より年収が高くてもいい、女性にもある程度は稼いでもらいたいと考えている人が7割を超えるという。不況の今、自分の収入だけで妻子を養う自身はない、だから女性にも稼いでほしいとい う本音がうかがえる。
 一方、女性はというと、「自分が働かなくても家計が成り立つ人と結婚したい」と考えている人がほとんどだった。女性の社会進出が進んだ今でも、高収入の男性と結婚し出産後は専業主婦に、という価値観はまだまだ支配的なようだ。
 こういう独身男女「わがままだ」と非難するのはたやすいが、貧富の差が広がる、いわゆる「格差社会」という現実に直面している彼らにしてみれば、②しかたのないことなのだろう。経済的不安を抱える男女が、結婚相手に高収入を期待するのは無理もない。
 ここで、新たな可能性がうかがえるのは、高収入の女性と低収入の男性のカップルだ。だが、これにも条件がある。女性は、「男が家族を養うものだ」という従来の価値観を捨てること。男性は、「家事は女性だが」と言わずに、しっかり家事をこなす力を身につけることだ。③そこからは、きっと明るい未来が見えてくる。ともかく、男女双方、お互いに努力しなければ、今以上に独身男女が世にあふれることになるだろう。

(53) ①独身男女の結婚観に開きがあるが、どういうことか

(54) ②しかたのないことなのだろうと筆者が考える理由は何か。

(55) ③そこからは、きっと明るい未来が見えてくるとあるが、筆者の考えに近いものはどれか。

中文
(3)  ある時、何かの企画をしていた私が、「こんな①いいかげんなことで大丈夫かなあ」とふともらしたら、そばで聞いていた友人が、「いいかげんじゃなくて、よいかげんなのよ。いいのよ、それで…」と言ってくれた。その言葉ですっと気が楽になったのを覚えている。
 ちなみに手元にある辞書(広辞苑)を引いてみた。「いいかげん(好い加減)」は、(1)よい程あい。適当。(2)徹底しないこと。深く考えずに無責任なこと。(3)(副詞的に)相当。かなり。とある。つまり、「いいかげん」は(2)の意味で使われた場合マイナスイメージになり、(1)の意味で使われ た場合マイナスイメージは消える。  世の中の多くのことは、いいかげんなことをせず正確と緻密をモットーにしてがんばるからこそ成功するわけだが、②生活のすみずみまでこの精神が浸透したら息苦しいに違いない。 大切な部分はきちんと押さえるとしても、日々の暮らしの中ではちょっとしたずれや例外があることを十分認め、無責任でない程度に「好い加減」にものごとを処理できたら、もっと大らかな気持ちになれるだろう。そして、時にはこのように、「いいかげん」なのではなくて「好い加減」なのだ、と自分にやさしくすることも③必要ではないいかと思った。言葉の使い方をちょっと変えるだけで、ふわりと気が楽になるということもあるのだ。

(56) この発言で、①いいかげんとはどんな意味か。

(57) ②生活のすみずみまでこの精神が浸透したら息苦しいに違いないとはどういうことか。

(58) ③必要ではないいかと思ったと筆者が考える理由は何か。

長文
 チンパンジーは、さまざまなあいさつの仕方を持っている。おじぎ、握手、抱擁、ひれ伏す、肩を叩く、軽く相手にさわる、それにキスさえする。ゴリラは深いおじぎをするが、その他のあいさつ行動は貧弱である。なぜ①チンパンジーにだけあいさつ行動が豊富なのか。
 その理由は彼らの特殊な社会構造に求められる。チンパンジーの集団は、ニホンザル(注1)の群れと同じく、複数の雄と複数の雌による20~100頭の集団である。②ニホンザルの群れは閉鎖的で、青年以上の固体が群れから遠く離れて4,5日も行動したりすると、群れに戻りにくくなる。特に雄は、まず復帰できず、よそ者とみなされて追い出されてしまう。ところが、チンパンジー社会は、メンバーの離合集散が日常的に行われる社会で、若い雄と雌が仲良く旅行に出かけて行き、1か月もたってから帰ってくるといったこともある。そうしたとき、帰ってきた連中は、集団の仲間にあいさつをする。そうすると、ごくスムーズに集団に入れてもらえる。
 このように、時間的空間的に離れていたための距離感、疎遠感をあいさつによって消し去り、もとの社会関係を回復することができるのである。チンパンジー社会では、個体の行動の自由度が大きく保証されているが、あいさつはそれを可能にするための行動なのである。このことは、われわれ人間のあいさつ行動に照らしてみると、よく理解できる。なぜ、いつ、われわれはあいさつをするのか。
 ③それは、日常的には、相互に時間的空間的に離れている場合に限られている。2、3日出張して職場に戻ったとき、仲間にあいさつする。あるいは、家族の間でも夜寝る前に「おやすみ」と言い、朝起きると「おはよう」とあいさつする。眠るという行為は、相互の認知空間の遮断である。「おはよう」とあいさつする。眠るという行為は、相互の認知空間の遮断である。つまり、眠っている間は、人と人の関係は断たれている。どうやら、人間関係というものは、いかに深い間柄でも、わずか一夜の隔たりがあると薄められてしまうものらしい。あいさつという行動は、薄められた関係をもとの濃度に還元する作用を持つものなのだ。
 つまり、あいさつは、薄められた個体関係の間に、相互の心の通い合うチャンネルを作る行為なのである。(河合雅雄『子どもと自然』岩波書店による)

(59) ①チンパンジーにだけあいさつ行動が豊富なのはなぜか。

(60) ②ニホンザルの群れは閉鎖的とあるがどういうことか。

(61) ③それは何を指しているか。

(62) この文章からわかる「あいさつ行動」の機能はどんなことか。

統合理解

 ウサイン・ボルトが100メートルを何秒で走ってもわれわれの生活が変わるわけではない。急に収入が増えるわけでも、夏休みの宿題が付くわけでもない。
 それなのになぜだろう。ジャマイカ出身の、この陽気な二十三歳の青年の記録への挑戦が、これほど人の心を感動させるのは。ベルリンでの世界陸上選手権で、100メートルに続き、200メートルでも世界新記録を打ち立てた。後半100メートルのタイムは、実に9秒27!
 先の100メートルでは自己の持つ世界記録9秒69を一度に0秒11も縮めた。テレビの解説者によれば、「本来は0秒01縮まっても興奮する世界だ」そうだ。確かに過去の更新も0秒05ぐらいの短縮が、せいぜいであった。文字通り「けた違い」の記録だ。
どんなに「超人」に見えても、この長身の青年も、われわれ六十何億人かの一人にすぎない。その一人の青年がわれわれに人類の可能性を示してくれたのだ。
(「筆洗」2009年8月22日付け東京新聞朝刊による)



ベルリンで開催されている世界陸上選手権で、100メートルの世界新記録が生まれたと思ったら、すぐに、200メートルでも新記録が樹立された。もちろん、ジャマイカ出身のウサイン・ボルトである。
100メートルのタイムは、北京オリンピックで自ら出した世界記録を0秒11も縮めた9秒58、200メートルは19秒19だ。
確かに、これはおどろくべき記録なのだろう。今までになかったことなのだろう。新聞やテレビが大騒ぎするのもわからないでもない。日本の選手はいまだに10秒の壁も破れないでいるのだから。
しかし、どうだろうか。疑問に思うのは、その報道の仕方である。ジャマイカの選手が新記録を出したら、日本人選手にテレビの報道が過熱する。そして、選手はプレッシャーに負けて惨敗する。そのくり返しである。
いつになったら、なぜ日本選手は100メートル走で勝てないのか、その科学的分析ができるゆになるのだろうか。

(63) AとBのどちらの記事にも触れられている内容はどれか。

(64) 新記録誕生のマスコミ報道について、Aの筆者とBの筆者はどのような立場をとっているか。

(65) 今回の世界新記録が今までの記録と違うのはどんな点か。

主張理解
 子どものときから、忘れてはいけない、忘れてはいけない、と教えられ、忘れたと言っては、叱られてきた。そのせいもあって、忘れることに恐怖心をあき続けている。忘れることは悪いことと決めてっしまっている。
 学校が忘れるな、よく覚えろ、と命じるのはそれなりの理由がある。教室では知識を与える。知識を増やすのを目標にする。せっかく与えたものを片っ端から捨ててしまっては困る。よく覚えておけ。覚えているかどうか、時々試験をして調べる。覚えていなければ減点して警告する。点はいいほうがいいに決まっているから、みんな知らず知らずのうちに、忘れるのをこわがるようになる。
 教育程度が高くなればなるほど、そして、頭がいいと言われれば言われるほど知識をたくさん持っている。つまり、忘れないでいるものが多い。頭の優秀さは、記憶力の優秀さとしばしば同じ意味を持っている。
 ここで、われわれの頭をどう考えるかが問題である。
 ①これまでの教育では、人間の頭脳を倉庫のようなものだと見てきた。知識をどんどん蓄積する。倉庫は大きければ大きいほどよろしい。中にたくさん詰まっていればいるほど結構だということになる。
 ②倉庫としての頭にとっては、忘却は敵である。ところが、こういう人間の頭脳にとっておそるべき敵が現れた。コンピューターである。これが倉庫としてはすばらしい能力を持っている。いったん入れたものは決して失わない。必要な時には、きっと引きだすことができる。整理も完全である。
 コンピューターの出現、普及にともなって、人間の頭を倉庫として使うことに疑問がわいてきた。コンピューター人間を育てていたのでは、本物のコンピューターにかなうわけがない。
 そこで、ようやく人間の創造性が問題になってきた。コンピューターのできないことをしなくては、というのである。
人間の頭はこれからも、一部は倉庫の役を続けなければならないだろうが、それだけsではいけない。新しいことを考え出す工場でなくてはならない。倉庫なら、入れたものを紛失しないようにしておけばいいが、ものを作り出すには、そういう保存保管の能力だけでは仕方がない。
 第一、向上に余計なものが入っていては作業能率が悪い。余計なものは処分して広々としたスペースをとる必要がある。そうかと言って、全てのものを捨ててしまっては仕事にならない。③整理が大事になる
 倉庫にも整理は欠かせないが、それはものを順序よく並べる整理である。それに対して、工場内の整理は、作業のじゃまになるものを取り除く整理である。この工場の整理に相当するのが忘却である。人間の頭を倉庫としてみれば、危険視される忘却だが、工場として能率を良くしようと考えれば、どんどん忘れてやらなくてはいけない。
 そのことが今の人間にはわかっていない。それで、工場の中を倉庫のようにして喜んでいる人が現れる。それでは、工場としても倉庫としても、両方ともうまく機能しない頭になりかねない。コンピューターには、こういう忘却ができないのである。だから、コンピューターには倉庫として機能させ、人間の頭は、知的工場として働かせることに重点を置くのが、これからの方向でなくてはならない。

(外山滋比古『思考の整理学』筑摩書房による)

(66) ①これまでの教育とあるが、どのような教育か。

(67) ②倉庫としての頭とあるが、どういうことか。

(68) ③整理が大事になるとあるが、どういうことか。

69 この文章で筆者が言いたいことは何か。

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(70) 今回初めて公開講座を受講する会社員のAさんは、平日、午後6時以降に通うことができ、教材費も含めて1万円以内で受けられる講座を探している。Aさんが受講可能な講座はいくつあるか。

(71) 主婦のBさんは、金曜と土曜を除いては午後5時まで時間があるので、今回初めて公開講座を受講することにした。Bさんは次の4つの講座に興味を引かれたが、年末は忙しくなるため、12月15日までに終了することと、10月末に海外旅行に出かけるので11月中旬から受講できることを望んでいる。 Bさんの条件に合う講座はどれか。