短文
(1)
 情報技術(IT)の進歩に伴い、ITを使いこなせる人とそうでない人の間で得られる情報量の違い、いわゆる「情報格差」が生まれている。この情報格差は、IT化とは別の側面からも生じ得る。その一つが、外国人などが言語の問題で情報にアクセスできないことだ。その対応策として、多言語による情報提供が進められている。例えば、東日本大震災の際にもインターネットやラジオを通してさまざまな多言語情報が発信されたが、現在の課題は、その「伝達方法」である。いくら情報を発信しても相手に届かなければ意味がない。情報が届くには、発信メディアガが日頃から外国人住民に広く認知され信頼されるものになっていなければならない。

(46) この文章によると、多言語による情報提供の現在の課題は何か。

短文
(2)

平成24年7年30日


株式会社〇〇商事
総務部人事課 山田太郎様

拝啓 貴社ますますご清栄のこととお喜び申し上げます。

さて私は、△△大学 文学部 英文科学の鈴木陽子と申します。この度は、平成24年7月25日付け貴信により面接のご連絡をいただきましておりましたが、誠に勝手ながら辞退させていただきたく、ご連絡申し上げました。第一志望の会社より内定をいただいたことが理由でございます。
ご多忙のところ日程を設定していただいたにも関わらず、誠に申し訳なく、心よりお詫び申し上ばげる次第です。何卒ご了承いただきたく、お願い申し上げます。

末筆ながら、貴社の一層の発展をお祈り申し上げます。

敬具
鈴木陽子


(47) この文章によって筆者が伝えたいことはどれか。

短文
(3)  最近、地域内の複数個所に自転車の貸し出しをする専用ステーションを設けて、自転車シェアリングのサービスを行う自治体が増えている。環境保全や地域おこしをねらいとした事業だ。最寄りの駅から目的地までの移動などに公共の自転車が利用できれば、さぞかし便利だろう。ところが、まだ成功といえる事例は少ない。背景には、どの自治体も、町にあふれかえる個人の自転車の管理に頭を抱えていることがある。人々の駐輪マナーの低下は、駐輪場の不足によってさらにエスカレートしている。まずは目の前の問題をどう解決するか、そっちのほうが先のようだ。

(48) 筆者は、自転車シェアリングのサービスを実施することについて、どう考えているか。

短文
(4)
 われわれ人間から見れば、カッコウの拓卵は、親らしからぬ、非常に愛情に欠けた行為に映ります。他種の鳥の巣に卵を置き、ひなに他の卵を蹴落すことまでさせて、まんまと仮親に自分の子を育てさせるのですから、どうしても、怠け者、ひきょう者といったイメージで見てしまいます。
 一方、拓卵行為は、カッコウと拓卵される側との長い攻防戦の産物でもあります。拓卵先となった鳥たちは卵を見分けるなどの知恵を数十年かけて身につけます。カッコウもそれに応じて技術を磨いてきたのであり、ただ子育てを放棄し、あぐらをかいてきたというわけではないのです。

(49) 筆者の説明と合っているものはどれか。

中文
(1)
 六〇年ほど前、児童心理学者シャーロット・ビューラーは、子どもが自分にできるようになった力を用いることに喜びを見出し、その力によって様々なことを発見し、育つことの重要性を指摘しました。彼女はこれを「機能の喜び」と名づけていますが、自分の力(機能)を使うこと自体が子どもにとって喜びであり、それによって学び、育つという、人間の発達の本質をいい得て妙(注1)だと思います。
 現代は、この「機能の喜び」がとかく無視されているのではないでしょうか。親は「良育」にせっかちなあまり、子どもが熱中していることに我慢できないようです。遠回りにも時間の無駄にもみえるのでしょう。そのため、自分の考える①「よかれ」の計画路線に子どもを歩ませようとします。 (中略)
 「機能の喜び」を味わう機会の減少は、自分が学ぶな力をもっていることについて知る体験を、子どもから奪うことでもあります。同時に、子どもの自己効力感を育てる機会をも奪っています。日本の子どもたちは、ある程度の能力をもっていても自信をもてない傾向が強いのですが、自分達成の機会の少なさも一因でしょう。親の過剰な教育熱がかえって、子どもが自ら育つことを疎外してしまっているのです。その意味でも、②子どもの「発達権」の保障は急務です。

(柏木恵子 『子どもが育つ条件一家族心理学から考える』 岩波書店による)


(注) いい得て妙 : 実にうまく言い表している

(50) ①「よかれ」の計画路線とはどういう意味か。

(51) 筆者は、現代の親にはどのような特徴があると述べているか。

(52) ここで言う、②子どもの「発達権」の保障とはどういうことか。

中文
(2)  
人的資源としての国民の健康管理をめざす国家にとっては悪であろうが、個人にとっては現世(注1)的快楽に身とをゆだねることもひとつの生きかたである。「生きるために食べる」とい
う立場ではなく、かつての手段とされていたものが目的化して、「食べるために生きる」人間も出現しているのである。
 快楽を肯定して早死にするか、節制して長生きをするかは個人の哲学の問題であり、医学や栄養学のおよばぬ領域であるかもしれない。そのさい、自分の生きかたをきめる個人が無知であってはならないであろう。 (中略)
 わが国の栄養士は国家のさだめた栄養指導者である。そのおもな役割は、学校や病院など集団給食の場における栄養管理にある。集団を対象としているので平均値としての栄養管理であり、食物にたいする個人的な差異は無視されがちである。しかし、それを食べる個人は、身体的差異をもち、文化的に形成された食物にたいする独自の価値観一たとえば嗜好(注2)など一を別にする人びとである。
 ながいあいだ、近隣の家族のかかりつけの医師として活動してきたホームドクターは、患者の職業、家族構成、体質、病歴、経済状態などを熱知したうえで、疾患の処置をしたり、健康維持のためのアドバイスをおこなう。それとおなじように、これからの栄養学にもとめられるのは、集団ではなく、個人を対象としたコンサルタントである。

(石毛直道『石毛直道 食の文化を語る』 ドメス出版による)


(注1) 現世:今、生きている世界
(注2) 嗜好 : 飲食物についての好み

(53) 筆者は、「食べるために生きる」人間の生きかたはどのようなものだと述べているか。

(54) 無知であってはならないであろうとは、どういう意味か。

(55) ホームドクターの例をあげることによって、筆者はどんな意見を述べているか。

中文
(3)
 貴重な生物が多い地域には、貴重な言語も多い。そんな調査結果を、米英の研究チームが米科学アカデミー紀要に発表した。しかし、その多くの言語は話し手が少なく、英語など一部の言語が国際的に広がることで、①「総滅」の危険性があるという。
 チームは約6900の言語について地域的な特徴を分析。半分近い約3200の言語は、固有の生物が多いが、急速に生息地が失われている②「ホットスポット」と呼ばれる35の地域で使われていた。ホットスポットは地上の約2. 3%を占めるに過ぎないが、木や草、シダなどの約50%と、陸上に住む脊椎動物(注)の約40%がその地域だけに住む固有種だという。
 約2200の言語はその地域に固有の言葉で、約1500の言語は1万人以下、約500の言語は1千人以下の人しか話していなかった。
 言葉と生物の多様性が同じ地域で見られる理由について、チームは「複維で、地域ごとに異なるだろう」として詳しくは言及していないが、「人間の国際的な経済活動は、貴重な言語にとっても混在的な脅威になっている」と指摘している。

(朝日新聞2012年6月1 3日付夕刊による)


(注) 脊椎動物 : 背骨を持つ動物

(56) ①「総滅」の危険性があることがわかったものは何か。

(57) ②「ホットスポット」の特徴として正しいものはどれか。

(58) 今回の米英チームによる調査を通じて、どのようなことが明らかになったか。

長文
 ①コミュニケーションは、響き合いである。
 「打てば響く」という言切がある。ひとこと言えばピンときてわかってくれるということだ。鑑を描いたときに、ゴーンと鳴り響く。あの振動の感触が、コミュニケーションの場合にもある。二人で話しているときに、二つの身体がーつの響きで充たされる。そんな感覚が、話がうまくできているときに訪れることがある。これはそれほど奇跡的なことではない。 (中略)
 私たちは言葉でのやりとりをコミュニケーションの中心だと考えがちだ。しかし、言葉を使いはじめる以前までの膨大な時間、人類は存在してきた。その間にもコミュニケーションは当然成り立っていたはずだ。集団で暮らしている状態でセコミュニケーションがないということは、考えられない。動物園の猿山を見ていると、②それがよくわかる。
 猿山にはコミュニケーションがあふれている。あちらこちらで、もみ合いが起こっている。誰かがトラブルを引さ起こし、また別の猿が加わって事態をややこしくさせる。感情をむき出しにして、相手に伝え合う。自分の思いをそれぞれが通そうとする。思いがぶつかり合い、身体がもみ合うことで、現実が推移していく。ここには人間の使うような言語はないが、コミュニ
ケーションはふんだんにある。猿山の別の所では、母猿が小猿のノミ(注)をとってやっている。小猿は気持ちよさそうにうっとりしている。言葉を使わなくても、気持ちは交流している。母猿の指先の動きを一つひとつが、小猿の心を動かしている。猿山の中で、それぞれが居場所を見つけ、時折移動しては関わり合う。この距離感覚自体が、コミュニケーションカなのだ。
 響く身体、レスポンスする身体。この観点から猿山をみていると、猿の中には冷えた響かない身体は見つけられない。一人で部屋に閉じこもってテレビを見たり、パソコンをいじったりする空間がないこともその一因だろう。推測だが、一人でこもることのできるきわめて快適な環境を与えたとすれば、そこに引きこもり続けた猿は仲間と響き合う身体を徐々に失っていくだろう。使う必要のない筋肉や能力は衰えていく。使わなければ、力は落ちていく。
 言語的コミュニケーションは、身体的コミュニケーションを基盤にしている。動物行動学の研究は、動物たちが身体的コミュニケーション能力にあふれていることを教えてくれる。人間は言語という精緻な記号体系を構築した。それによって高度な情報交換が可能になった。しかし、その一方で、身体的コミュニケーションの力が衰退する③条件ができてしまった。

(斉藤基『コミュニケーションカカ』 岩波書店による)


(注) ノミ : ほ乳類や鳥類に寄生する小さい曲

(59) ①コミュニケーションは、響き合いである。とは、どういう意味か。

(60) ②それとは何か。

(61) 猿同士のコミュニケーションにはどのような特徴があるか。

(62) ③条件とはどういう意味か。

統合理解

A
 A大学が現在の春入学から秋入学に全面移行する方針を打ち出した。 
 世界の主流は秋入学であり、春入学は日本を含め7ヵ国のみだという。世界の流れに合わせることで、留学生を増やし、大学の国際化を促進することが狙いである。また、3月の高校卒業から大学入学までの空白時間、いわゆる「ギャップターム」の間に社会経験が積めるとしている。
 だが、果たして、秋入学への移行が即ち留学生の増加、ひいては国際化に繋がるのだろうか。教育の質の向上を始め、優先すべき課題があるのではないだろうか。さらに、「キャップターム」を有効活用するという構想は、理想論に過ぎないと感じる。社会に「ギャップターム」の受け皿が整わないうちは、所属先のない不安定さや経済的な負担を問題と捉える人が多いだろう。

B
 A大学が開き入学実施に向け本格的に動き出す方針を発表した。5年後を目途に国際基準である秋入学を導入し、海外との研究・教育の交流を活発化させる考えだ。
 その実現に向けてはいくつかの課題がある。一つは、秋入学した学生の卒業時期と新卒の定期採用の時期(4月)にズレが生じることだ。そのズレが就職に不利になるという見方が強い。その解決のためには、秋入学・秋卒業の大学が増え、企業の採用方針が、春の一括採用から、春と秋の採用や通年採用に改められなければならない。それは一括採用・長期雇用といった日本型雇用レステムの変更を意味する。
 そのため、A大学は、単独での秋入学移行ではなく他大学との連帯を目指し、経済界との協議も始めている。

(63) AとBのどちらか一方でのみ触れられている情報はどれか。

(64) AとBは、それぞれ秋入学導入についてどのような立場をとっているか。

(65) 日本で秋入学が広まるために必要なこととして、AにもBにも書かれていないことはどれか。

主張理解
 「ロハス」は原産地がはっきりしている。
 アメリカである。
 Life-styles of Health and Sustainability一健康で持続可能性のあるライフスタイル一の頭文字をとった人造語である。 (中略)
 環境間題の用語になじみにくいものが多いのは、それに取り組むのがいつも後手後手で外来の研究や思考に頼らざるを得ない日本の姿を反映しているが、なかでも頭が痛いのは、このSで始まる語になかなかよい訳語が見つからぬことである。しかも、このsustain(支える、維持する)という言葉は環境問題を考える上での、いちばん中心にある概念なのだから、厄介である。環境が維持できる可能性(sustainability)の範囲内に人間の営みを限ろうというのだから。
 こんな目に遭わねばならないほど、私たち日本人は昔から自然環境に無関心、無頓着(注1)だったのかと言えば、歴史的、文化的に見るとそんなことはない。
 その証拠のひとつは、環境分野で初のノーベル平和賞の受賞者、ケニアのワンガリ・マータイ女性が世界に広めようとしている「もったいない」という言葉である。(中略)横文字好きの我が政治がやっている運動を外国人が日本語で表現したところが(本人にはその意図はなくとも)何とも度肉である。が、もっと皮肉なのは、「もったいない」が原産地ではほとんど死語と化していることだ。
 かつて雑誌の編集長をしていた私は「今どきの若者」を表現する意味で、「新人類」という語を世に送り出したことがある。ほとんどジョークのつもりだったのが、若者への違和感を深めていた「旧人類」たちにアピールしてしまい、流行語になった。“発信元"の編集部には、「新人類」の定義、リスト、年齢などの資格要件などについての問合せが相次ぎ閉口(注2)した。その時、私が「新」と「旧」とを分ける分水嶺(注3)として用いたのが「もったいない」だった。食うや食わずの幼児体験がかあって、「もったいない」と思わず口にする世代と、大量生産、大量消費の時代に育って「消費は美徳」と刷り込まれ、「もったいない」という言葉を知らない世代。それが分かれ目だと説明したのである。
 マータイさんが古い日本語を復活させてくれたことに感謝したいところだが、「もったいない」には3R(注4)どころか「持続可能性」に通ずるものがある。もともと日本人の持っていた言葉が消えていったということは、①それが示していた内容が消えたということである。
 それはこの語を知らない人たちのせいというよりは、その語を忘れようとした人たちのせいだろう。とにかく、「忘れた世代」と「知らない世代」とが、ともに大量生産、大量消費、大量廃棄、今日に至る私たちの社会を作ってきた。そこに新旧の別ながどなく、多くの流行語が②そうであるように、「新人類」などというのはまことに軽薄、軽率な人造語だった。

(筑紫哲也 『スローライフ』 岩波書店による)


(注1) 無着 : 気にしないこと
(注2) 閉口する : 困る
(注3) 分水嶺 : 雨水が異なる水の流れに分かれる境界、物事の分かれ目になるところ
(注4) 3R : リサイクル(Recycle・再資源化)、リユース(Reuse・再使用)、リデュース(Reduce・ごみを減らす)の3つを指す環境用語

(66) 筆者が述べていることと合っているのはどれか。

(67) ここでは、「もったいない」はどのような言葉として述べられているか。

(68) ①それが示していた内容とは何か。

(69) ②そうであるとはどのような意味か。

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