「ロハス」は原産地がはっきりしている。
アメリカである。
Life-styles of Health and Sustainability一健康で持続可能性のあるライフスタイル一の頭文字をとった人造語である。 (中略)
環境間題の用語になじみにくいものが多いのは、それに取り組むのがいつも後手後手で外来の研究や思考に頼らざるを得ない日本の姿を反映しているが、なかでも頭が痛いのは、このSで始まる語になかなかよい訳語が見つからぬことである。しかも、このsustain(支える、維持する)という言葉は環境問題を考える上での、いちばん中心にある概念なのだから、厄介である。環境が維持できる可能性(sustainability)の範囲内に人間の営みを限ろうというのだから。
こんな目に遭わねばならないほど、私たち日本人は昔から自然環境に無関心、無頓着
(注1)だったのかと言えば、歴史的、文化的に見るとそんなことはない。
その証拠のひとつは、環境分野で初のノーベル平和賞の受賞者、ケニアのワンガリ・マータイ女性が世界に広めようとしている「もったいない」という言葉である。(中略)横文字好きの我が政治がやっている運動を外国人が日本語で表現したところが(本人にはその意図はなくとも)何とも度肉である。が、もっと皮肉なのは、「もったいない」が原産地ではほとんど死語と化していることだ。
かつて雑誌の編集長をしていた私は「今どきの若者」を表現する意味で、「新人類」という語を世に送り出したことがある。ほとんどジョークのつもりだったのが、若者への違和感を深めていた「旧人類」たちにアピールしてしまい、流行語になった。“発信元"の編集部には、「新人類」の定義、リスト、年齢などの資格要件などについての問合せが相次ぎ閉口
(注2)した。その時、私が「新」と「旧」とを分ける分水嶺
(注3)として用いたのが「もったいない」だった。食うや食わずの幼児体験がかあって、「もったいない」と思わず口にする世代と、大量生産、大量消費の時代に育って「消費は美徳」と刷り込まれ、「もったいない」という言葉を知らない世代。それが分かれ目だと説明したのである。
マータイさんが古い日本語を復活させてくれたことに感謝したいところだが、「もったいない」には3R
(注4)どころか「持続可能性」に通ずるものがある。もともと日本人の持っていた言葉が消えていったということは、①
それが示していた内容が消えたということである。
それはこの語を知らない人たちのせいというよりは、その語を忘れようとした人たちのせいだろう。とにかく、「忘れた世代」と「知らない世代」とが、ともに大量生産、大量消費、大量廃棄、今日に至る私たちの社会を作ってきた。そこに新旧の別ながどなく、多くの流行語が②
そうであるように、「新人類」などというのはまことに軽薄、軽率な人造語だった。
(筑紫哲也 『スローライフ』 岩波書店による)
(注1) 無着 : 気にしないこと
(注2) 閉口する : 困る
(注3) 分水嶺 : 雨水が異なる水の流れに分かれる境界、物事の分かれ目になるところ
(注4) 3R : リサイクル(Recycle・再資源化)、リユース(Reuse・再使用)、リデュース(Reduce・ごみを減らす)の3つを指す環境用語