年末が近づくと、通信教育の「ペン字講座」の広告が多くなる。年に一度、新年の挨拶ぐらいは自筆の文字で書こうという消費者の心理をついて、この時期に受講生を募集するのだ。広告には、美しい文字を書ければ、好印象」などといったフレーズが踊る。手書き文字が書いた人の印象を左右するというのは、経験上うなずけることだ。(41) 、タイプの文字は誰が書いても同じだから、メールの場合、本当に差出入が書いたものかも、茂密には分からない。改めて考えると、なかなか恐ろしい話だ。
 「ペン字講座」にしろ「習字教室」にしろ、商売として成り立つということは、手書き文字の上達を望む人は少なくないのだろう。(4 2) 、日常生活では、下手であるがゆえにタイプを利用するという表現もある。
 そう言う筆者も、日常の連絡ツールは(43一a)であり、(43一b)をするのは、メッセージカードに一言二言書くときくらいだ。そんな折、知人の計報(注1)に接し、ご家族に宛てた手紙を書く必要に人迫られた。縦書きが相応しいとは思いつつきれいに書く自信がなかったので、横書きの便せんを選んだ。それにもかかわらず、まっすぐに宇が並ばず、仮名と漢字のバランスも上手くとれない。 しかも、普段読めているはずのやさしい漢字すら(44)。パソコンや携帯電話では、仮名さえ入力すれば、漢字の候補を(45)。しかし、便利な機能に頼ってきたばかりに、手書きで書く力が衰えているのだ。
 情報の鮮度が求められ、レスポンスの速さが親密度を測る尺度と言われる今日、パソコンで行われる書類作成やメール機能の便利に意義を唱えるつもりはない。ただ、いざという時(注2)に恥ずかしくならないよう、日ごろからある程度のまとまった文を手書きする壁をつけておいたほうがよさそうだ。「隙こそものの上手なれ」である。
(注1) 計報 : 死去したという知らせ
(注2) いざという時 : 重大なこと、緊急にするべきことが起きたとき

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