短文
 かなり能力のある人が何時まで経っても上昇気流に乗れず奇妙に不遇(注1)であるという場合が少くない。そういう型は例外なく親友がいないのを特色とする。深く語らえる友を見出すための努力を怠ったせいである。通常、親友が出来るのはニ十歳前後である。その次には入社後三年以内である。稀には人生の辛酸を嘗めた(注2)熱年同士が意気投合する(注3)光景も見られる。いずれにせよ友を求める気持ちの強い面者の幸運な出逢いである。

(谷 沢永― 『 人間通J新潮選書による)

(注1)不遇:運がない
(注2 )睾を嘗める:苦労を経験する
(注3 )意気投合する:気が合う

(46)この文章の内容と合っているものはどれか

短文
 近代日本の教育にかんして、その内容がいかに問題にされても、すこしも疑われていないのは、義務教育制度そのものである。何がそこでどのように教えられるかではなく、この学制それ自体が問題なのだが、教育論はすべてこのことの自明性の上に立っている。かりにそれ以前の教育が歴史的に考察されるとしても、寺子屋(注1)や私塾のようなものを恣意的に(注2)にとり出すだけである。あたかもそれらが拡大し一般化したのが「学制」であるかのように。

(柄谷行人「日本近代文字の起源」講談社による)

(注1)寺子屋:昔の学校
(注2)基患的:自分勝手に

(47)筆者の言いたいことは何か

短文
 援助することは簡単そうで、案外難しい。特に緊急を要する援助は判断が難しい。人が倒れている、といっても横になっているだけかもしれない。野に火の手が上がっている、といっても焼畑かもしれない。その時、どう判断するか。
 大きな要因となるのは周りの人の判断や行動である。その行動をみて、自分も判断する。しかし、その人だって確信があるわけではない。やはり周りをみて行動しようとする。お互い、相手の行動をみていて動かない。誰も動かないので、動かないことが基準となって、緊急性はないという判断が働く。つまり援助行動がなされない。これを援助行動の相互抑制効果という。

(債藤 勇「図解雑学人間関係の心理学」ナツメ社による)

(48)援助活動がなされないのはなぜか。

短文
 限られた時間や財産ではすべての目標を達成できないとすると、何かを行うときに犠牲になっているのは、突き詰めてみれば、それによつて実現できなくなる別の目標なのです。お金や時間はこうした犠牲を計る上での大切な目安ではありますが、それだけでは判断が不正確になる恐れがあります。一つのことを実行する前に、それを行う替わりに何ができなくなり何が手にはセlらなくなるかをきちんと考える。そうした犠牲を払ってもなお実行する価値のあることだと判断したならば実行する。経済的な行動とは、結局はそういうことです。
(南山大学経済学部「大人になるための経済学入門」日本放送出版協会による)

(49)そういうこととは、どういうことか

中文
 夜道を照らす街灯や庭などに置いてある電灯に明かりが灯ると、どこからともなくたくさんの蛾が集まってきます。都市部ではあまりみられませんが、台所や部屋の網戸などに張り付いてることもあります。
 とくにさえがあるわけでもないのに、明かりに寄ってきてはくるくる舞い飛ぶ蛾。どうして蛾たちは①このような不思議な行動をするのでしょう。これには二つの税があります。
 夜に行動する夜行性の蛾たちには、コゥモリというこわい敵がいます。自分たちを捕食するコウモリから逃れるためには、コウモリが嫌う明るい場所にいるのがもっとも安全だと考え、夜になると明かりに寄ってくるという説がひとつ。
 もうひとつは、それよりもちょっと有力です。
 夜、蛾たちは月や星の光を目安に飛んでいます。どちらかの光をつねに一方の側に見ていれば、まっすぐに飛べるからです。ところが、街灯などの明かりは月や星とちがってすぐ近くにあります。そのため、いったん明かりのそばに寄ってしまうと、(②)。光を片側に見ながら飛ぼうとすれば、よくるくると光源の周りを舞うことになってしまうというわけです。

(50)①このような不思議な行動とあるが、それはどうのような行動か。

(51)(②)に入れるのに適当な言葉はどれか。

(52)蛾が街灯や電灯に集まってくる理由として、筆者が述べている二つの税とはどれ

中文
 現在、活動を停止することは必ずしも休息を意味しない。活動を停止するためには、活動を停止するための活動が必要であり、それはしばしば、そのまま活動し続けるよりも、大いなる活動となる可能性があるからである。今日では、いったん停止された活動が、そのままの状態で持続されることは、ほぼ①考えられないのだ。停止を持続するために、絶えぎる働きかけが必要であり、しかもその働きかけに要するエネルギーは、停上期間が長びけば長びくほど増大する。従って多くの人々は、活動を持続している期間よりも、それを停止している期間に、より大いなる疲労を引き受けることになる。
 言うまでもなく、②かつてはそうではなかった。活動は活動として独自に保証され、その停止は停止として、これまた独自に保証されていたのである。活動がひとつの状態であれば、その停止もまたひとつの状態であり、それらはそれぞれ別のものであった。ところが現在、活動がひとつの状態であるのはともかく、その停止は「非状態」としてしか確かめられなくなりつつあるのである。
 現在多くの人々が、他から強制された活動停止の時間ーーいわゆる「待ち時間」を、独自に体験することが出来なくなりつつあることにお気付きであろうか。

(別役実『日々の暮らし方J自水社による)

(53)筆者は、どんなことが①考えられないと言っているのか。

(54)②かつてはそうではなかったとあるが、以前はどうだったのか。

(55)文章の内容と合うものはどれか。

中文
  佐藤さんは英語が下手だ
  花子さんも英語が下手だ
  。。。
ということから
   だから日本人は英語が下手だという一般化をしてしまいやすい。まして自分の知っている中国や韓国からの人たちがみんな(①)という経験をもっている人は、とくに強く「日本人は英語が下手だ」と確信する。
  これは帰納的(注1)推論に属すものである力f、本来の帰納的推論は、私たちが経験するすべての事象(注2)について成り立つのを確かめた上で、将来経験するであろうことについてもそれが成立するだろうと予測するものである。これに対して②ここで述べているようなことは、いくらでも例外を見つけることができる事象についての結論であり、どこまで信用してよい力、はなはだ怪しいものである。
  しかし、世の中の多くの議論は、これに類するものである。一方では
 今日の日本の学生・生徒の学力は以前にくらべて低下したという主張があるかと思え|ム教育の当局者(注3)は③それを立証する(注4)客観的データはない  そう言える学校はあるかもしれないが、一般的にそうとは言えないといつた弁解をする。とくに前者の表現は、論理的に考えればけっして学力の低下を否定しているものではないにもかかわらず、ぼんやり聞いていると、学力は低下していないと主張しているかのように受けとられるのは不思議である。

(長尾真r「わかる」とは何かJ岩波新書による)

(注1)帰納的:個々の具体的なことがらから一般的な法則を導く考え方
(注2)事象:できごと
(注3)教育の当局者:教育機関の人
(注4)立証する:証拠を示す

(56)(①)に入る最も適切なものはどれか。

(57)②ここで調べているようなこととは何を指しているか。

(58)③それを立証する客観的データはないという表現は、本来はどんな意味だと、筆者は言っているか。

長文
 日本人に個性がないということはよく言われていることだけれど、今世界的に、1週間、或いは年間にどれだけ働くか、ということについて、常識的な申し合わせが行われていることには、私はいつも①違和感を覚えている。
 私は毎年、身体障害者の方たちとイスラエルやイタリアなどに巡礼の旅をしているが、一昨年はシナイ山に上った。盲人も6人、ポランティアの助力を得て頂上を究めた。普段、数十歩しか歩けない車椅子の人にも、頂上への道を少しでも歩いてもらった。②障害者にとっての山頂は、決して現実の山の頂きではない。もし普段100歩しか歩けない障害者が、頑張ってその日に限り、山道を200歩歩いて力尽きたら、そここそがその人にとっての光栄ある山頂なのである。
 人間が週に何時間働くべきか、とぃうことにも、ひとりひとりの適切な時間があると思う。労働時間を一律に決めなければならない、とするのは専門職ではない、未熟練労働に対する基準としてのみ有効である。未熟練労働者の場合は、時間あたりの労働賃金をできるだけ高くし、それによって労働時間を短縮しようとして当然である。
 しかし、専門職と呼ばれる仕事に従事する人は、労働報酬の時間あたりの金額など、ほとんど問題外だ。私は小説家だが、小説家の仕事も専門職に属するから、ひとつの作品のためにどれだけ時間をかけようと勝手である。短編をほんの2、3時間で書いてしまうこともあるし、10年、20年と資料を集ゅ調べ続けてやっと完成するものもある。ひとつの作品に私がどれだけの時間や労力や調査費をかけようが、昼夜何時間ずつ働こうが、それは私がプロである以上、自由である。
 日本の社会の中には、職場の同僚がお互いに牽制する(注1)ので、取ってもいいはずの休みも取れない人が確かにかなりいる。小さな会社の社長に頼みこまれると、したくもない残業をしなければならなくなる社員もいる。そうしないと会社が潰れて失職をすることが目にみえているからである。その結果「過労死」などということも稀には起きることになる。
 しかし日本人のなかには、仕事が趣味という人も実に多い。ブルーカラーと呼ばれている人たちの中にさえ、どうしたら仕事の能率が上がるか考えている人はざらである(注2)。趣味になりかけているものが、たまたま会社の仕事だから、時間が来たら帰らねばならない、というのもおかしなことだ。それは③プロの楽しみを妨げることであって、一種の個人の自由の東縛というものである。
 ただそれほど働きたくない人は仕事をしない自由を完全に守れるように、社会は体制を作り変えるべきである。しかし同時に、一律に休みを取れ、というような社会主義的発想は、いくら世界の流行だとはいえ、自由を手にしている人間に対しては、個人への干渉であり、非礼である。

(曽野綾子「日本人の心と家J読売新聞社による)

(注1)牽制する:相手に注目して、自由な行動をじゃまする
(注2)ざらである:よくある

(59)①違和感を覚えているのはなぜか。

(60)筆者は、②障碍者によっての山頂とはどこだと言っているか。

(61)筆者は、③プロの楽しみとは何だと言っているか。

(62)筆者の考えに合っているものはどれか。

統合理解

(63) AとBのどちらの文章にも触れられている内容はどれか。

(64) Aの筆者との筆者は、どんな人は「要注意」だと言っているか。

(65) AとBの二つの文二を以下のようにまとめる場合、①と②に入るものの組み合わせとして適切なのはどれか。
「Aの筆者は、ひとりになることは( ① )に必要だと考え、Bの筆者は、ひとりになることは( ② )に必要だと考えている。」

主張理解
 ことばがこうして、いいとか、悪いとか価値づけされて受けとめられている、ということは、ことばが、人間の道具として使いこなされているのではなく、逆に、何らかの意味で、ことばが人間を支配している、ということを示している、と考える。「近代」が「混乱」であり「地獄」であると思い込む者lJI、「近代」と名のつくものを、‐考えるよりも前に、まず憎むであろう。他方「非常に偉い」ように感じている者は、冷静に見てみるよりも、まずあこがれるであろう。
  ①人がことばを、憎んだり、あこがれたりしているとき、人はそのことばを機能として使いこなしてはいない。逆に、そのことばによって、人は支配され、人がことばに使われている。価値づけして見ている分だけ、人はことばに引きまわされている。 このような事情は、「近代」に限らない。これは私たちの国における翻訳語の基本的特徴なのである。
 ②翻訳語の成立の歴史について考えるとき、これを単にことばの問題として、辞書的な意味だけを追うというやり方を、私はとらない。ことばを、人間との係わりにおいて、文化的な詈件の要素という側面から見ていきたいと思う。とりわけ、ことばが人間を動かしている、というような視点を重視したい。
 たとえば、「近代」はmodernなどの西欧語の翻訳語として、1世紀前頃から使われるようになったことばであるが、modernを中心に見れば、③このことばは、「近世」とか、その他いろいろなことばに翻訳されている。しかし、とくに私が、「近世」その他ではなく、「近代」という翻訳語に注目し、ここでとりあげる理由は何か。それは、とくに「近代」が、人々を惑わせることばになりがちだからである。
 ことばが憎まれたり、あこがれられたりするような事情は、ことばの通常の意味、辞書的な意味からは、どうしても出てこない。それだけに、従来ことばについて専門‐的に考察する人々に、ほとんど無視されてきた。だが、見過ごされてきたにもかかわらず、ことばの問題としても、また学問・思想、広く文化の問題としても、とても重要なこと、と私は考えるのである。
 私は、翻訳語の成立の事情を考察するとき、以上のような視点を重視している。つまり、ことばの、価値づけられた意味である。そしてそのことは、ことばの乱用、流行現象、ことばの表面上の意味の矛盾、あるいは異常な多義性、というような面からとらえていくことができる。逆に見れば、「近代」などの翻訳語は、こうして乱用され、流行することによって、翻訳語として定着し、成立してきた、と言うことができると思う。

(柳父章『翻訳語成立事情J岩波新書を一部改)

(66)①人がことばを、憎んだり、あこがれたりしているとは、どういうことか。

(67)筆者が考えている②翻訳語の成立の歴史とは具体的にどのようなことか。

(68)③このことばとは、何を指しているのか。

(69)この文章で、筆者が最も言いたいことは何か。

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海山市文化施設案内



    








    







    







    







    







    







    







    










施設名



休館日



設備利用料



連続使用日数



備考



A



新田ホール

音楽室(8人)

桜台駅より徒歩3分



毎月第2火曜日、年末年始



1日5000円



2日



ピアノ・コーラス以外はご遠慮ください。



B



いずみ文化センター

練習客(8人)

白野駅より徒歩1分



年末年始および施設点検日



1日4600円



2日



海山市民の利用に限る。ドラムセット、音響装置あり(無料)。



C



せせらぎの里
セミナールーム(40人)
大則駅徒歩10分



毎月第4木曜日、年末年始



1日5700円



3日



映像装置、拡声装置、音響装置(1日300円)あり



D



サンハート
多目的スタジオ(15人)
戸山より徒歩7分



土日、祝日、年末年始



1日600日



2日



音量制限あり。詳細はお問い合わせください。



E



しぐれ公会堂
会議室(50人)
新森田より直結



年末年始および設備点検日



1日5000円



1日



海山市民の利用に限る。音響装置完備。防音室



H



リリス
研究室(40人)
あやめ台より徒歩1分



月曜日、年末年始



1日6500円



6日



音響セット(マイク・スピーカー1日1500円)あり



I



梅町プラザ
集会室(50人)

天山町より徒歩



土日、および設備点検日



1日4000円



1日



海山市民の利用に限る。ピアノあり。拡声装置(1日1000円)、CDプレーヤー(1日500円)


(70)海山市在住の田中さんは、職場の仲間4人で結成したロックバンドの練習のために施設を利用したいと思っている。活動日は主に土曜日または日曜日で、予算は1日5000円で、音響装置を借りる必要がある。使用可能な施設はいくつあるか。

(71)佐藤さんは海山市の住民ではないが、海山市の施設を借り、サークル会員のために月曜日と火曜日の2日連続で、予邊1万5000円でワークショップを行う予定である。映像装置、マイク等の必要な機材があり4O名収容可能な施設はどこか。