漢字読み

1。 自己主張は大切だが、言葉を慎んだ方がいい時もある。

2。 失敗を恥じるより、失敗を恐れぬことが大切だ。

3。 子どもの頃から、日本髪を結って結婚式に出たいと思っていた。

4。 信楽(しがらき)室町(むろまち)は時代から陶器の町として知られていた。

5。 あの大統領は民衆を侮辱する言葉を吐き、案の定失脚した。

6。 事故でろっ骨を骨折し、しばらく安静にしなければならない。

言い換え類義

7。 あんな芸(  )な犬を見ていると、うちの犬が情けない。

8。 マンションの(  )者たちを集めて、耐震工事の説明会が開かれた。

9。 新商品が売れに売れて、(  )の黒字を記録した。

10。 最近の新聞の(  )では、景気は緩やかに回復しあるらしい。

11。 (  )衛星からの画像が乱、雲の様子がわからない。

12。 「ベスト4」を(  )言葉に、代表チームは一丸となって戦った。

13。 回戦前、実業(  )として財をなした一族だったが、今は見る影もない。

文脈規定

14。 空一面いやに暗くなったと思ったら、大粒の雨が降ってきた。

15。 友人のミスをかばうため、彼はあくまで白を切った。

16。 アクション派俳優の彼女は、実生活ではしとやからしい。

17。 上司の無理な注文に、部下は露骨にいやな顔をした。

18。 台風のせいで、リンゴ園はかなりの痛手を受けた。

19。 天然ガスの豊富な資源があの国の明るい未来を示唆している

実践練習

20。 セレモニー

21。 うずくまる

22。 ほぼ

23。 迫力

24。 ベストセラー

25。 かしげる

文法形式の判断

26。 選挙公約はいろいろあるが、選挙後は有権者を失望させ(  )ことが多い。


27。 アメリカ証券会社の不正問題は、許す(  )行為だ。


28。 エルニーニョ現象による不漁は、あきらめる(  )。


29。 広島(ひろしま)長崎(ながさき)の原爆被害の悲惨さは語り継が(  )ことだ。


30。 趣味が多様化した時代だが、若者が小説を読ま(  )だろう。


31。 悪天候が野外オペラの延期を(  )こととなった。


32。 絵(  )と思われた落書きが、A・ウォーホールの手によるものだった。


33。 映画『ジヨーズ』の撮影時は、スピルバーグ監督は20代だった(  )。


34。 (大学のサークルで)
A「先輩、この電子辞書(  )でしようか。」
B「あっ、それ、だめ。私のじやないから。」


35。 (リビングで)
A「なんでテレビ見て泣いてるの。」
B「だって、あの二人、(  )、まいっちやう。」


文の組み立て

36。 コンピ二で _ _  _ 便利になった。


37。 太陽系の _ _  _ 平面内にある。


38。 オイルショックに _ _  _ 深刻になった。


39。 バイオエシックスとは _ _  _ 研究分野である。


40。 水産加工業は _ _  _ 原料となる魚が減っている。


文章の文法
 希代の喜劇作家。現代の戯作者(げさくしゃ)博覧強記(はくらんきょうき)の知恵袋。時代の観察者。平和憲法のために行動する文化人。
 井上ひさしさんを言い表す言葉は、幾通りも思い浮かぶ。だが、多面的なその活動を貫いた背景は一つ。自分の日で見て、自分の頭で考え、平易な言葉で世に間う姿勢だ。
 本や芝居は、深いテーマを持っているのにどれも読みやすく、わかりやすい。それは、ことの本質を掘り出して、丁寧に磨き、一番ふさわしい言葉と語り口を選んで、私たちに手渡していたからだ。
 そのために、( 41 )たくさんの資料を集め、よく読み、考えた。途方もない労力をかけて、自分自身で世界や歴史の骨組みや仕組みを見極めようとしていた。
 この流儀は、井上さんの歩んだ道と無縁ではないだろう。
 生まれは1934年。左翼運動に加わっていた父を5歳で亡くし、敗戦を10歳で体験した。戦後の伸びやかな空気の中で少年時代を過ごすが、高校へは養護施設から通った。文筆修業の場は、懸賞金狙いの投稿と浅草のストリップ劇場。まだ新興( 42‐a )だった( 42‐b )台本で仕事を始め、劇作家としては、デビュー当時はまだ傍流とされていた喜劇に賭けた。
 王道をゆくエリートではない。時代の波に揺られる民衆の中から生まれた作家だ。だからこそ、誤った大波がきた時、心ならずもそれに流されたり、その波に乗って間違いを( 43 )しないためには、日と頭を鍛えなければならない、歴史に学ばなければならないと考え、それを説き、実践した。
 特に、あの戦争は何だったのかを、繰り返し、間い続けた。
 復員した青年を主人公に、BC級戦犯の問題を書いた「閣に咲く花」という芝居に、こんなせりふがある。
 「起こったことを忘れてはいけない。忘れたふりは、なおいけない」
 井上さんは2001年から06年にかけて、庶民の戦争責任を考える戯曲を3本、東京の新国立劇場に書き下ろした。名付けて「東京裁判3部作」。
 東京裁判を、井上さんは〈(きず)のある宝石〉と呼び、裁判に提出された機密資料によって隠された歴史を知る( 44 )ことを評価している。
 同劇場は、8日から、この3部作の連続公演を始めたところだ。その翌日、拍手に包まれて幕が下りた直後に、井上さんは旅立った。
 くいつまでも過去を軽んじていると、やがて私たちは未来から軽んじられることになるだろう〉。公演に寄せた作者の言葉が、遺言になった。
 生涯かけて築いたのは、広大な言葉の宇宙。( 45 )きらめく星座は、人々を楽しませてくれる。そして、旅する時の目当てにもなる。

(「朝日新聞」2010年4月13日付)

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