漢字の「思」という字は、本来、上半分は頭脳を上から眺め、脳が四つに分かれている様子を表し、下半分は心臓を表したもので、五つの血管が心臓に出入りする様子を表していると言われる。つまり、「脳=あたま」と「心臓=こころ」の両方を組み合わせた文字というわけで、頭が心の声に耳を傾けているところを描いた、まことに本質的な象形文字をなのである。「あたま」だけを働かせるのでなく、「こころ」も働かする。でないと、「思う」ことはできない、ということだろう。
考えてみれば、大都市での生活は、お金や時間の計算に追われ、頭を働かすることばかり、どこをみても考える人ばかりで、気がつけば情報の海の中で溺れそうになっていることさえある。そんなに忙しく頭を回転さきせている人々の中で、じっと、もの思いにふけっている人がいたら、それこそ「頭がおかしい」のではないかと疑われかねない。それほど心の声は聞こえにくくなっているということだ。毎日毎日、忙しく働き、仕事が終われば付き合いで帰宅が家くなり、休みの日は家庭サービスで子どもをあちこち連れて行かなければならなくて、自分の気持ちは押し殺さるされ……。私たちは、心が悲鳴を上げているのに、耳にふたをして平静を装っでいるだけなのではなかろうか。
もちろん社会人として、理性で感情をコントロールすることも大事だろうが、心の働きを無視し続ければ、いずれ精神のバランスを崩してしまうだろうということを、「思」という字の成り立ちは教えてくれている。