あなたは自分の名前について、どう感じているでしょうか。
たいていの親は、その時代の流行に左右されて、他人から見たらおおげさで、まるでマンガの主人公のようなかっこいい名前をつけたがるものです。男の子だったら「翼」とか「鳴門」とか「剣心」など。女の子だったら、「映美 (=エイミー)」や「有沙 (=アリサ)」など将来国際人として活躍することを想定して英語名の発音に近い名前をつける場合が増えているそうです。親ばかで、勝手な名前をつけて嬉しがっている姿は、それはそれでほほえましいものだし、いいかげんな名前に見えても、そこには、そのときの親の生活や心情が表れていて、なにか強い必然性を感じさせます。
ところが、本人はどうかというと、「親の心、子知らず」で、せっかくの名前に満足し誇りに思っている人は、案外少ないのではないでしょうか。気に入らなければ、改名する自由と権利を主張する人も中にはいるでしょう。ほんとうにペンネームに変えてしまう人もいるでしょう。
わたしは、けれども、名前に対するそうした親の思いを大切にしたいと考えています。大切にするというか、そこには生まれてからずっと、その時その時の感情を込めて、わたしの名を呼んだ親の存在があって、それを消し去ることはできません。それはわたし自身の根底に関わることだからです。もし、自分の名前がどうしてもしっくりこなくて、好きになれない人がいたとしたら、それは不幸なことではないでしょうか。 自分の名前を否定するということは親との関係を否定するということになるからです。人は他者から名前を呼ばれて初めて自分をしっかり認めることができるわけで、それがなければ心の安定はけっして得らちられないでしょう。