よく日本人は「本音」と「建前」が違うので、わかりにくいと外国人から言われる。日本人の女性をお茶に読ったら、「また、今度…… (誠ってください)」と言われ、次に誘ったら、いやな顔をされた、と言うのはよく聞く話だ。はっきりダメだと言えないことが問題なのではなく、本音と反対の言葉を発することが問題なのである。それが日本人の間では常識になっていて、相手にとっては「うそ」を言っていることになることを自覚していない。特に、「イエス(Yes =はい)」、「ノー (No =いいえ)」をはっきり答える欧米人には理解しだがたいことだろう。「本音」 に対して、「本心」という言葉がある。「本音」があくまでも「建前」と対になった青葉であり、「「本音」 を隠す」 とか「とうとう「本音」を吐いた」とかマイナスのイメージを持つことが多いのに対し、こちらは、「あえて厳しい態度をとった父の「『本心』 を子どもは理解していた」などと、ある言動をとった人の本当の気持ちという意味で、特別な意味はない。
つまり、「本音」 には、本当のことを言えない、言ってはいけないという規制の意識があっ
て、日本人の心を屈折させていると言える。ここが外国人にはわかりにくいのである。が、だた
とえば、戦争に負けた日本がアメリカに占領されんていたころのことを考えるといいだろう。負
けた国の国民は勝った国に対して言いたいことを言えなくなるものだ。それはだれるも否定しな
いだろう。そんな屈折した心性を日本人は歴史の中でずっと抱えてきたのだと言えよう。