「ディスコミュニケーション」というのは和製英語で、コミュニケーションが取れない、コミュニケーション不全の状態を表すが、昔なら「世代間の断絶」といった意味に近いのだろう 。今では、親子の話が通じしないというだけでなく、同じ世代でも趣味が違ったり専門が違ったりすれば話が合わず沈黙がちになる。デイィスコミュニケーションは至るところで起きている。日本人だと思って声をかけたら、わけのわからない外国語で返されることもあるし、街を歩いていて「こことはいったいどこの国なんだ ! 」と思うほど、外国語があふれていることもある。むしろ、私たちはディスコミュニケーションの社会を渡り歩いて、コミュニケーションへの道を模索していると考えんたほうがいいのではとさえ思う。
先日も若い友人に「ディスコミュニケーションについて、どう思うか」とたずねたら「あれ、けっこう好きなんですよね」と言うから、変だなあと思いながら聞いていたら「ぼく、ちょうど高校生の頃だったから、いっしょうけんめい読んでたんですよ」と言う。何のことはない。マンガの話だった。これもディスコミュニケーションの一例だと二人で笑った。
人と人が本当に理解しあえるとは思わないけれど、こうして見ると、つくづく現代人は孤独だなあと思う。いっしょに暮らす家族がいたって、そうなのだ。本当に細い細いコミュニケーションの系を頼りに生きているのがわかる。その終が切れてしまったら……世間を騒がす事件は、きっとそこら辺から起きているのだろう。