鉄の風鈴というと、お寺の鐘を小さくしたようなものを連想するが、火箸でできた風鈴がある。鋼鉄の火箸を4本ぶら下げてその真ん中に薄い歯事のような形をした振り子が下げてあり、風が吹くとその鉄の振り子が周りの4本の鉄の棒に触れて絶妙な涼しい音を響かせる。 4本は形が上異なり、その組み合わせで音がまた被雑になる。この風鈴の考案自体はまだ半世紀前のことだが製鉄の技術は先相代々受け継がれ現在で52代目になるという伝統の技だ。その独特の音は内外の有名なミュージシャンが注目するほどで、鉄の棒を炉で熱する温度の調整や、形を整えるために熱した鉄を鎚で打つのだがその打つ回数で、音の響きが微妙に変わってくるため、全てを熱知した職人の手によるほかはなく生産の機械化は不可能なのだそうだ。また、その後妙な響きは科学的な解明もできていないという。1900年にも及ぶ技術の継承がそれを可能にした。まさに神業だと言えよう。
 人間の手が作り出した奇跡の音は、だからこそ人々の脚に響き、心を間やす。音を追究し、技を追宮し、それが火箸の風鈴という形に結晶したのだ。人間が築き上げてきた文化というものは、このような技術の積み年ねに支えられている。実は、私たちの周りにもそのような伝統技術はたくさん残っている。ところが、それを気づかなくさせているのが、何でもコンピュータの計算で割り切らうとするデジタル思考ではないか。それは個人を伝統から切り難し、無力化しているように思をてならない。

1。 「問1」「火箸の風鈴」の説明として正しいものはどれか。

2。 「問2」「火箸の風向」の生産の機械化が不可能なのはなぜか。

3。 「間3」筆者の考えと合っているものはどれか。