生まれたばかりの赤ちゃんにとって、「くちびる」はとても大切なものである。赤ちゃんは
くちびるを使って、母乳を吸収する。 ①くちびるが使えるかどうかは、命に直結する問題なのである。そして、赤ちゃんはおなかがすくと、母乳を求め母を呼ぶ。そのとき、自然に母乳を飲むときの口の動きで、くちびるを使った発音をする。これがいわゆる「両唇音」 であり、日本語では、「まんま」 と発音する。そして、これがいつか「ごはん」 を意味する「おまんま」という言葉へ変わっていくのである。
この日本語の「おまんま」を辞書で引くと、「ご飯」の意味だと書いてある。これは、しかし、大人にとっての意味であって、赤ちゃんにとって「ご飯」は母乳にほかならない。つまり、「まんま」は母乳を求める発声であり、それはそのまま母を求める声である。
実は、②これは日本だけの話ではなく、世界共通の事情であり、ほとんどの国の「母」を意味する言葉には、この両唇音がふくまれている。たとえば、英語の「mama」がそうであり、中国語の「媽媽」がそうである。どちらも日本語のカタカナで書けば「ママ」 となるのである。
言語学では、一般に、言葉の誕生は偶然のものであり、たとえは日本語で自分のことを「わたし」と呼ぶことに必然性はないと考えられている。しかし、母を意味する言葉に「両唇音」がふくまれるということだけには、世界共通の必然性があると言えるのではないだろうか。私にはそう思えてならない。