日本の科学技術について語られるとき、決まって「人材が枯渇して
(注1)いる」という指摘がされます。しかし、ほんとうにそうなのでしょうか。日本の社会には、こつこつと努力している個人や技術を見いだし、隠れた才能を伸ばすシステムが、不足しているだけではないでしょうか。
ことに企業の研究者・技術者に対しては、これまでほとんど関心が払われていなかったのではないでしょうか。たとえば、私はノーベル賞受賞決定後、テレビや新聞で①
「企業内研究者」と呼ばれました。まるでそれまで、そんな役割を果たす人々が存在しなかったようなニュアンス
(注2)を含んだ呼び方だったので、驚きました。企業の研究者や技術者が、大学や公的な機関の研究者と同じように、新しい原理を模索したり、役に立つ応用を開発したりしていることを、もう少しよく知っていただいて、役に立つ製品を開発した人はもちろん、まだ成果を上げていなくても、地道に努力を積み重ねている人には、「いまはまだ会社の利益に貢献していないけれど、よくがんばった」と、力づける仕組みが、日本の社会にあって良いように思います。
べつの表現をすれば、もう少し、現場を支えている理系の人々、つまり企業のエンジニアや研究者に対する尊敬の気持ちを持ってほしいな、,と思います。私たちがどれだけ役に立つ技術を開発しているのか、あるいは開発しようとしているのかを広く知っていただくことができ、多少でも、尊敬の気持ちを持っていただくことができれば、それはお金には代えられない喜びとなります。そういった雰囲気が社会に生まれることは、もし、これからも「技術立国」を日本がめざすのなら、絶対に必要だと思います。
たぶん、1980年代までの日本には、裏方の仕事をしている人々は、わざわざ自分たちの功績を自分が話さなくても尊敬してもらえる雰囲気がありました。むしろ、黙っているほうがいさぎよい
(注3)と思われていたのでしょう。しかし、バブル景気のころから、真面目にこつこつやることが、かっこ悪いと思われるようになりました。「ネクラ
(注4)」とまで言われたのです。私もかつて、「ネクラ」と揶揄された
(注5)ことがあります。そんなふうに扱われて、②
やる気をなくした人々が多かったと思います。私もそのひとりに入ります。
エンジニアや研究者が正当に評価され、やりがいを持つことができれば、日本再生も容易ではないか、とさえ思えてきます。
(田中耕一『生涯最高の失敗』朝日選書による)
(注1)枯渇する:なくなる
(注2)ニュアンス:言葉の微妙な意味
(注3)いさぎよい:自分の功績を気にしない、立派な態度
(注4)ネクラ:性格が暗いこと
(注5)揶揄する:相手が困ったり怒ったりするようなことをしておもしろがる
(71) ①「企業内研究者」と呼ばれましたとあるが、筆者はそれについてどのように感じたか。
(72) ②やる気をなくしたのはなぜか。
(73) 筆者がこの文章でいちばん言いたいことは何か。